17歳の上野愛咲美、竜星戦で決勝進出

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一部の人にとって、昨日(2019/09/14)の夜八時は、サッカー・ワールドカップの日本代表の試合みたいなものだった。そりゃ、お相手の許家元には申し訳ないが仕方がない。次の決勝で相手となる棋士は、もちろんどれだけの好青年であろうが悪役である。

 

知らない人に説明するのは難しい。まず決勝に進んだだけで、これはなかなかの話なのである。男女関係なく竜星戦で優勝すれば、飛びつけ7段である。今の若い棋士で七段、八段という人はみんな飛びつけで昇段している。これだけの実績を残す者は最低この程度の段位がある、というのは全棋士の共通認識である。

 

決勝トーナメントに進むという事は、全棋士のベスト16であるから、ワールドカップの決勝に進んだのと同じだ。もちろん、男子のWCでなでしこが決勝に出たような快挙ではない。囲碁には、サッカーやゴルフ程の男女差はない。程というよりも、全くの互角が基本的なスタンスだ。もちろん、女性であることの不利益も利益もある。それは世界のどこでも同じだ。

 

で、問題はそういう話ではないのである。どれくらいの凄さか、平成四天王のひとり、藤沢秀行門下、深い厚みで時代を築く高尾紳路九段、現役のタイトルホルダー村川大介八段、井山裕太七冠の牙城を最初に切り崩し、反撃の狼煙を上げた一番手、許家元八段、彼らと戦って勝利した。全員高段者だぜ、ちなみに彼女は二段だぜ。

 

先の人たちをゴールド聖闘士としたら二段なんかブロンズでさえない。まったくの素手みたいなもんである。クロスを貰う前の練習生みたいなもんである。ひかるの碁で、なんでこんな強い二段がいるのよとアキラが言われていたけど、現実にあれが起きた。

 

しかも、ガチの殴り合いで勝ったというのがもっぱらの評判である。ゴールド聖闘士に素手の殴り合いを挑んで勝利した、と例えれば理解できるだろうか。解説の林漢傑が言っていたのが、許さんがカミソリなら上野さんはハンマー。ハンマーと言えば、普通は、シティハンターを思いだすけど、どっちかと言えば、鋼錬のアームストロングの肉弾戦か、パンプキン・シザーズの0距離射撃か。

 

という訳で、昨日の戦いなど、あれ、本当に佐為が取り付いているんじゃないか、俺はそうであっても信じるぜ。AIの候補手との一致率なんか、AIを脳内に埋め込んだんじゃないよね、まさか、八百長?と思わないでもなかった。

 

これ全部失礼な話し、新しい豊かな才能が努力と楽しさを道連れに目の前で咲きほころうとしている、日本の囲碁界は今、若さが胎動している。今更、と中国や韓国からは笑われるかも知れないけれど、この新しさは面白い。それだけAIが囲碁に与えた影響は大きいのだろうし、何より古い世代と新しい世代の拮抗が日本の独自の新しい囲碁観を生み出してくれるかも知れない。

 

凄まじい碁。昨日は普通の大判解説ではなくて、AIを使ってのLIVE解説だったから、常に候補手は出るし、両者の勝率が表示される。AIのサジェスチョンなんかに惑わされてはいけない、まるで小林秀雄の当麻かよ、と思いながらも、その圧倒的な説得力に抗う事はできなかった。一致する手を打てば正しいと思う、違う手を打つと負けてしまうのではないかとドキドキする。そこに人間などいなかった。

 

昨日の観戦の大発見はこれである。AIとの一致率に一喜一憂して感じのは、決して良いとは思わない。だけど、ある意味、ゲームを解りやすくした。AIとの一致率が高い方が勝つゲーム、というのは、きっと見た事のない人やルールを知らない人にとっては面白さをより具体化するはずだと感じた。

 

野球やサッカーでも、どこをどう攻めるだの、誰を代打に出すだのまでプロさながらの観戦をする人がいる。こういう経験者であったり、どっぷり嵌った人だけでは、当然だがプロスポーツは成立しない。初心者お断りの雰囲気まで出すので、ビジネスとしてみれば織り込むべきリスクでさえある。

 

一方で強くなければ人気が出ることもない、勝たなければファンに見向きもされないという落合博満のような考え方も必要であろう。実際に、人気が出たスポーツはどれも、サッカーであれ、ラグビーであれ、ある勝利を切っ掛けに注目された。渋野日向子がこれほどの人気が出たのも全英オープンを優勝したからだ(あの最終パットには痺れたよね)。

 

いずれによせ、新しい経験が混乱するのは当然で、それは互いによい着地点を見つけるべきものだろう。囲碁の面白さの90%は解説が決める。これだけは間違いない。アマチュアとはいえ、段位者なら、この手にはこういう意味があるというのは、打たれれば理解できる。そこまで深い理解ができる人には、そこに深みのある面白さを体験できるだろうが、多くのファンはそうでなない。一手の意味を説明してもらう必要がある。

 

解説の名人と言えば、将棋の米長邦雄だと思う。この人の解説は絶品であった。僕は一手の意味など説明しません、どうせみなさんには理解できないでしょうから、みたいな解説をするんだけど、その分、その一手に込められた気持ちを代弁していて面白い。この手は、もうやけっぱちですね、とか、これは勝ちましたという宣言です、みたいな感じの説明を延々とする。打つ人の弱気や頑張りを、ここの分張りが勝敗を決めるでしょう、みたいな選手の心を代弁するような解説をしていた。

 

これに近いのは、趙治勲の解説だろうか。ここで、絶対に勝てる手があるんだけど分かります?、そう、こことこと、二手打てば絶対勝てるんです。もう誰がやってもこの手で勝てるんですけど、そうは打てません、反則負けになっちゃうから、みたいなふざけているんだか、深いんだか分からない解説をする。

 

この人は囲碁の可能性というものをとてもリスペクトしている人で、囲碁なんて単なる遊び、社会から消えても誰も困りはしない。だけど、そんな囲碁の中にも人間の素晴らしさ、可能性が見つかるんだ、消えてしまうには余りに豊かな世界なんだよ、まるで寄生獣の田村玲子みたいだ。

 

もちろん、そういう解説だけが名解説なのではない。羽根直樹の解説は少しだけ囲碁が分かってくると途端に面白みが増すし、林漢傑の解説は自虐も入ってユーモラスだけど、面白い。囲碁がわかるとは解説が楽しいという意味でもある。

 

さて、今回の戦い、AIとの一致率ばかりに注意がいって、実は何が起きて、どういう戦さが繰り広げられたか、よく分からなかった。二か所も石が取られてそれでも勝つってどういうこと、みたいなのが理解できない。これはAIの弊害だろう。

 

でも、7の読みで石を持ち、9の発声で石を置く上野愛咲美女流棋聖の打ちっぷりに司会の吉原由香里がアッとかハッとか、いちいち驚いていて、あれが若さだと感じる。石が手から滑って落ちてゆくなど、夢にも思わないのは、手の油がちゃんと出ているからで、年をとったらつるつる滑るなんて10代では理解できるはずがない。

 

それで、思うのだけど、今回のLIVEで一番どきどきしていたのは、読み上げをした安藤和繁ではないか。「じゅー」と言ったらそれで時間切れである。負けである。勝敗を決めるのは対戦者だけではない。自分が勝敗を決めてしまうかも知れない。これだけの注目された試合で、しかもライブで。

 

コンサートの途中でブレーカーを落したら怒られるだろう?それなのに、なんで俺にブレーカーのスイッチを渡すのか、みたいな話である。どんな名局も好局も時間切れになれば、終わり。そのストレスはいかほどか。

 

準決勝第2局 一力遼 vs 鈴木伸二は明日16日20:00、決勝戦は23日20:00。全員、刮目して予約せよ。