Engineer Soul in Japan

僕は低級ながらエンジニアの一人だから、この原子力発電所のトラブルには非常に関心がある。テレビで解説されている仕組みを見る限り、水が漏れており冷却に問題がある以上、危険であることは間違いない(と聞いている)。

 

専門家ではないから知らない上で話すのだが、水は循環しなければならないのだとしたら、パイプがどっかで漏れているか、ポンプが空振りしてそもそも送れてないはずだ。

 

水が循環路の入口で漏れているのなら、 出口側から水を逆に入れればいいじゃないか、と夢想もするが、エンジニアというものは、そうやって知らない仕組みでも適当に空想する。

 

いずれにしろ、穴の空いたヤカンみたいなものかしら。水を入れればいいだけの話なのに上手くいかない。誰もが、今起きている事に不思議なんだろうが、早い話、現地の人だって中を見たわけではない。

 

世界中のだれもが、この原子炉の中で起きていることを見ていない。だれ一人として。英語なら、Nobody で始める構文だ。だからアクションに対するリアクションで推察するしかない。

 

こうしたらああなる、だから、こうなっているはず、こうしても駄目なのだから、これはありえない。としか言えない。この繰り返しだ。

 

エンジニアとは見えないものを見たかのように言う人種である。それは量子力学の人であろうが、コンピュータの人であろうが、金型を作る人だろうが、竹細工の職人だろうが、たぶん、変わらない。

 

水をどれだけ注入しても満たされないのなら、水を入れてから原子炉に達するまでの
どこかで止まっているか漏れているに違いない。外科手術でどれだけ輸血しても血圧が上がらなければどこかで出血しているはずなんだ。

 

だが、その場所が分からなければ、とりあえず輸血を続けるしかない、これくらい最上の名医でも読んでいれば分かる話だ。そういえば、脳外科に福島孝徳と言う人がいたっけ。

 

同じ事が原子炉の中で起きているとしたら、まさしくこれは生死を賭けた大手術なわけで鼻歌でも歌いながら、がんばれとしかいいようがない。そこで歌われた曲を作った人は嬉しいと思う。

 

放射線被曝の危険性と隣り合わせなのだろうが、協力社員の人達にもちゃんとそれ相応の手当は出して欲しい。これら現場のエンジニアが帰ってきたら、結果が例えどうなっていようとも、僕としては(もし会う機会に恵まれたならば)彼らに一杯奢るのはやぶさかではない。