漂流する屋根の上の犬、海保が保護…気仙沼沖

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よく生き残っていた。犬であろうと生き残った者を見たら救わずにはいられない気持ちだろうと思う。


海も土地も瓦礫だらけでこれを片付けるだけで労力が莫大に必要なはずだ。都合がいいことに震災により職を失い、会社を失い、生活を心配している人々がいる。

 

だから瓦礫を除去するために政府は、被災者を雇用すべきだと考える。もちろん、それは3年程度の限定的な就労にうなるのだが、並行して元の社会を立て直してゆけばよい。会社の立て直しも政府は援助する必要があるが、全ての社員が雇用されるまで、つなぎとしての雇用を創生する必要がある。瓦礫撤去はその有望な候補ではないか。

 

避難者20万人として、雇用が必要なのは15万人くらい?ひとりに35万(手取り20万)を払うとして35万×15万×12=63 * 1010(6300億円)!無理な数値じゃない。

 

これらのお金が地域の消費として復興の資源となるだろうし、雇用が復興の起爆剤になる。たとえば漁業関係者も瓦礫撤去の間は瓦礫撤去庁の職員となればよく、港の機能が復帰し船が入手できれば、漁に戻ればいいわけである。


日本の経済はもともと人口の減少により縮小する方向にある。一人当たりの生産量が増加しないなら、全体が減少するのが自然で、人口×一人当たりの生産量=経済の大きさ
だから、当然と言えば至極当然。

 

で今回の災害で人口どころか、生産設備、社会インフラなどが機能停止、縮小している状況。生産を停止した地方は、経済の真空地帯のようなもので、この真空を何かで埋めなければならない。


これまでそこに頼っていた企業からすれば、復旧を待つか、他を当たるかのどちらかしかない。品不足になれば、待つか、仕入先を変えるしかない。

 

自然災害は必ず製造業にも影響を与える。ひとつの真空地帯の出現は、他地域にとってはチャンスである。あたらしい契約に食い込むチャンスだからだ。

 

だから、復興プランは取引先を変えられる前に示さなければなるまい。待っても一か月ではないか。だから時間との斗いになるのだ。

 

もちろん、そこしか無理と代えがたい場合もある。それでも、程度を落として別から納入するかという選択肢が現実味を帯びるのだ。

 

復興のためには何が必要か。お金は幾らあっても困らない。だが、必要なのはお金ではなく経済だ。買えなくなった人の分を誰かが変わりに買う必要がある。突然発生した消費の落ち込みを、誰かが買って補う必要がある。

 

なぜ、お金ではなく経済か。お金だけでは雇用は生まれない。需要が増加し供給が高まらないと雇用は生まれない。お金が経済に組み込まれて初めて雇用は生まれる。

 

今、必要なのは生活保護を増やすことではなく、労働者を増やすことだ。そのために、需要と供給の落ち込みを引き上げる必要がある。供給側は災害により停止しているが、需要さえあれば供給は加速度的に増加するのが自然の成り行きだ。

 

被災地を復活するために、需要の増加で供給を引っ張り上げる。そしたら雇用が生まれる。

 

グローバル化した世界では、不足した供給を他の地域で埋める事が可能である。そのため一度衰退した地域が供給を取り戻せない場合もある。それでは困るのでブロック経済という考え方もある。保護的であっても関税などが必要かも知れない。

 

だが、一方でそのようなことをしても供給サイドが復活するとは限らない。経済は生物と同様の振る舞いをするので、その先行きは予測しづらい。下手に経済力をつけたおかげでいきなり内戦に突入するなどよくある話だ。

 

また、被災地は供給サイドだけではなく、需要サイドも担っているから、国内の全体の需要が落ち込むのは当たり前と思う。通常は暫くすれば復興財源などの投入により需要が高まり供給を上げる。

 

義援金は緊急避難的に当面の生活を支えるために重要であるが、もし何かを買うのをやめて義援金に当てるのならば、それはお薦めできない。

 

落ち込んだ需要を上げるものは購入だけである。買うのを止めて義援金に当てたのなら、需要の総計は従来よりも下がっているはずである(どちらかが買うのをやめた状態なので)。

 

よって、その義援金は東北地方の被災者の職を奪う行為に等しい。今必要なのは、お金を使う行為だ。大切な貯金の1%を崩せとは言わない。ゼリーを買う時に、もうひとつチョコレートも買う。

 

義援金を振り込んだ帰り道にお買い物をするのを忘れちゃいけない。少しでいいから、いつもよりも多く買う。これが被災者の雇用を生む。

 

できる範囲で彼らを助けるとは、そういう話だ。何もボランティアに参加するだけが被災者を助ける道ではない。税金を納め、いつもよりちょっぴり多くの買い物をする。これ以上の援助はこの世界には存在しない。

 

最前線の中でも特に福島原発で作業している人たちは、担っているものが特別すぎて同列には語れないが、バックアップに努める我々に求められていることはそう難しくない。普段より、少し贅沢を、無駄遣いを。それだけだ。