綾野剛、『ルパン三世』五ェ門役は「しまった」と思うくらい大変!?

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(映画を)見る事もなく聞く事もなく、しかし言う!!

 

例えそうだとしても、そう役者に罪はない。

 

例えば、モンキー顔のチンピラにルパンが鳴り下がったとしても。次元がダンディズムとカッコつけの違いも分からないいきった兄ちゃんだったとしても。不二子がなんら表情に魅力のないマグロ女だとしても。銭形がどんな会場にでもいる素人のコスプレよりも情けないコスプレだとしても。

 

そして五ヱ門である。

峰打ちしているつもりで敵を斬っていました 

五ヱ門ほどの腕があれば峰うちでなくても人を殺さないなんてできるんじゃないかな。

五ェ門は刀を抜いたら斬れてしまうんです。抜いたら人だって真っ二つになってしまうんです。だから簡単には抜くことができない。抜かないことの強さ。そのニュアンスがすごく難しかった。

五ヱ門が斬れてしまうのか、それとも斬鉄剣が斬れすぎてしまうのか。「よき細工は少しにぶき刀を使ふといふ。妙観が刀は、いたく立たず」。達人なのに切れすぎる刀を持つ五ヱ門。魔王みたいな刀を全力で抑え込んでいるかのような生き方。

あと戦っているときに表情を変えられないと思っていました。汗もかかないし、息も乱れない。舞いに近い感覚です。自分でそういうふうにしようと決めておきながら、あとで『しまった』と思うくらいに大変でした 

 これが敗因じゃないかな。五ヱ門はルパンたちの中でももっとも煩悩の多い人間なんだ。それを自分では修業が足りないと思って生きている。これはどの作品も一貫した五ヱ門像だ。

 

五ヱ門はぜんぜんクールじゃないんだ。それを自分で知っている所が五ヱ門の魅力じゃないか。これだけ大量の作品があってもそれが読み取れないものだろうか。

 

もちろん役者が独自の解釈でこれまでとは違った味付けをするのは構わない。というか全く新しい解釈を魅せるのが役者の醍醐味だと思う。しかし、この五ヱ門を何回みてもルンペンにしか見えない。その髪!

 

空飛ぶ広報室ではいい役者かなと思った。ガッチャマンで節操がないだけかなと勘繰り、ルパンでああ、あれはただの当たり役だったんだのかと納得した。

 

役作りは小栗旬の方がいい。西遊記孫悟空といっしょで彼の当たり役のひとつとなるだろう。実際、止め絵でも見栄の切り方はとても立派だ。そこはかとなくルパンっぽさが滲み出ている。サル顔の使い方がとてもうまいのだ。モデルとしては最高な一枚だと思う。演技は学芸会だけど。

 

でもそれは役者が悪いんじゃない。役者の読み込みが薄いと感じたとしても、それは監督が悪い。まぁ邦画だからね。

 

役作りとして見れば、実写のルパンは難しいだろう。アニメと乖離し過ぎると興行的に失敗するだろうし(カリオストロの城のように)、近すぎると荒唐無稽に落ち込む。リアリティのラインがとても難しく、その辺りの造り方に関してはハリウッドと比べると日本人監督の技術は児戯に等しい

 

刀でジャンボ機をまっぷたつにしても違和感がない。

ジャンボ機を斬ったり、車をひっくり返したり、現実にはあり得ない。五ェ門は、生身の人間でいられるルパンたちとは違ってホントにアニメっぽいですから。だからこんなことできるはずがないという考え方を捨てて、『五ェ門だったら当然』という感覚でやっていました。 

この辺りがどうしようもないと思うね。

 

「ハリウッドだったら当然なんの違和感もなくやる。」

そう思わなかったのかな。だとしたら映画も勉強していないし、役者の勉強も怪しい。脚本の読み込みも研究も甘いヒトに思える。ちょっと変わったステレオタイプってだけじゃないのかなって。。。

 

もちろん、本当に思っていることなんか言えるか、という処世術はある。編集者の改変で全く違うニュアンスに変わっている可能性もある。