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「ネットはオタクの新大陸」KADOKAWA・ドワンゴの川上会長が語る

www.sankei.com

 

経済的な成功者とか大企業の幹部が相手にするのは社会の大多数であり、そこにある良識とか、常識、平均のようなものであって、それではこの現象は理解できないのではないか。

  1. 現実世界のヒエラルキーから取り残された最下層
  2.  現実社会に居場所を見つけられなかった人々
  3. 対人関係の豊かさ、経済的な豊かさを持たない人々
  4. 友人や恋人に恵まれず人間関係から背を向ける人々
  5. 冷笑的で嘲笑的に振る舞うことが自衛手段になっている人々
  6. 見た目は全然違っても同じとわかる世界で共通の現象
  7. 他人からの承認欲求が満たされないので、差異化で自己肯定する人々
  8. コピー文化によってコンテンツ産業を衰退させた人々

 

全然、この常識では理解するのは無理だと思う。自分たちの世界へ引きずり戻そうとするのはベクトルが逆だろう。

 

オタクは現実社会から「逃げて」ネットという新大陸に移住した移民ではない。この新しい世界に対して、これまで現実よりも素晴らしい世界だと、真っ先に宣言しちゃった人たちじゃないか。

 

二次元の女だって何かの理想を具現している、そう堂々と言える人たちではないか。その姿はまるで求道者のようだ。鎌倉時代に天空を凝視し念仏を唱えた人たちと何が違うか。どれほどの迫害にも屈することなく十字架を離さなかったひとたちと何が違うか。現実世界を地獄とみなし、極楽浄土を願った人々がいたのである。

 

そこに何かがある。インターネットという世界に、はっきりと、現実とは違う何かがある。涅槃か、それとも地獄か、幻想か。それは誰も知らない。自分がイイと思った、その感性だけを頼りにして飛び込んでいく。

 

彼らは現実の世界もそのルールもよく知っている。それと折り合いをつけながら生きている。決して現実を否定などしない。その世界でどう見られているかも自覚しているだろう。ただ、現実が絶対とは思っていないだけである。三次元の女が最高とは思わない。あんなもの、タンパク質の固まりではないか。

 

妄想の中に人間の真実がないなんて誰が言ったのか。それを社会に向かって言っても理解されない、嘲笑される、それを知っているから、少し無言になる。

 

オタクがコンテンツをこの星に爆発的にばらまく主体なのである。無断コピーであろうが、著作権を主張しようが、オタクの拡散する威力を侮蔑してはならない。オタクは肉体的には孤独かもしれないが、ある部分では繋がっている。だからコンテンツは世界中を席巻してゆくのだ。

 

オタクなど現実社会のの寄生虫に過ぎないではないかと論破する人もいるだろう。だが、この星に生きる生命の半数近くは寄生性である。この星の生命が採用した生き方である。どうして人間だけが寄生を非難するか。もしオタクが寄生虫なら孤独ではない証拠ではないか。

 

いまや著作権が市場を殺す。音楽は誰も見向きしなくなった。もともとテレビが無料で広めたビジネスモデルである。それによって成立していた市場である。テレビ放送が減少し、インタネットのコピー文化が台頭してきた時に何かが変わった。旧来の流通を支配していた音楽が聞こえなくなったのは当然に思える。

 

本でしか読めないような記事を誰が買うものか。この世界には、無名の、とても優れた論者が、掃いて捨てるほどいる。そのような新しい環境で旧来のビジネスモデルがそのまま通用するとは思えない。磁気ディスクを売るとか、紙を売るビジネスは、コピーには勝てない。流通のコストが違いすぎる。

 

従来、コンテンツを載せていた「物」を売っていた。だが、人々が欲しいものは極限を取れば「物」ではなかったわけで、インターネットがこれを証明した。コンテンツなどどんな形でもいい、アイドルの写真などどんなものでもいい、握手したいわけじゃない、その瞬間の感動、気持ち、時間が欲しい。食事さえも情報だったではないか。

 

これは物質文明から精神文明の過渡期ではないのか、と思える程、この世界のコンテンツが抽象化された。物は媒体にすぎない、プラトンの唱えたイデアに我々はもう一歩近づこうとしている。その先陣にいるのがオタクであろう。

 

コンテンツがフリーで世界に拡散する仕組みが出来上がった。その先に、何かお金に交換できるものがある。それを真っ先に見つけた人がこの世界を征服するのではないか。