医学部を揺るがす「2023年問題」 問われる医師の人間力

dot.asahi.com

 

当たり前だが、医療は技術である。人間力などいらない。人間のクズだろうと見立てが正しければ問題ない。アル中だろうがシャブ中だろうが、腕のいい医者を選ぶ(手が震えるから手術とかは危ないが)。

 

正しい診察をしたのに、わざと伝えなかったり、嘘の病名を伝えるのはもちろん困る。必要かもと思った検査を、合コンがあるからという理由で取りやめる医者も困る。

 

故に、医者に必要なのは技術と正直さだけである。それさえあれば十分だと分かる。正直さとは、必要な検査があれば、検査しましょうと言うこと、合コンがある日には、僕は帰りたいと患者に話すこと、でもどうしても必要だから、検査はしておいてと言うこと。何かあれば、合コンから呼び出してねと言える医者である。

 

2023年問題とは日本の医学部を卒業してもアメリカの医師国家試験を受ける資格としては認められなくなるという話だ。西洋のそれに違わず基準を設け、認証されなさい、というやり方だ。

 

それに対応しなければ世界基準を達成できないという考え方は理解できる。資格は最低限の知識さえ持たないものを入り口で排除する仕組みである。だから古くなれば当然だが最新知識を持っている証明にはならない。

 

だからといって、定期的に更新するようにすれば資格のための勉強が最重要となり本末転倒に至る。資格は肩書のひとつであるから有意である。だが、それは仕事の本質ではない。

 

医者は生まれた時から医者のわけがない。多くの仕事を通じて医者として育ってゆく。

 

多くの人は、仕事を通じて、その仕事を好きになる。小さい時から憧れた仕事につき、それに満足できた人は少ない。

 

仕事についてからその仕事の面白さに気づく人もいれば、自分が希望した仕事について絶望する人もいる。いろいろな経験がある。挫折したから今の仕事に出会えたという人森う。何が幸いするか誰にも分からない。

 

だから、子供の頃に夢として仕事を目指し、希望通りの仕事につくのが偉いという風潮があるが、特定の業界が仕組んだマーケティングであろう。夢など挫折するために持つべきものだ。

 

どんな仕事であれ、始めてから初めて気付く事がたくさんある。そういう発見だけが仕事の価値を高める。それは医者だろうが大統領だろうが空き缶広いだろうが同じだ。