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その学部、本当に必要? 全国立大に見直し通知、文科省

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これは良い流れだと思う。そもそも論として、大学という存在が各県にひとつ必要なのかという話がある。

 

もちろん、昔と違っていやま大学行って当たり前の時代である。それでも大手企業は日本の大学など歯牙にもかけない。MIT あたりで勉強してから、おととい来やがれというスタンスである。

 

それでも日本企業が国際的にはさっぱりである。Microsoft のような世界のトップ企業でさえも Windows の迷走ぶりを見ると、学歴が能力ではないし、実績を保障するものでもない。

 

それでも学歴以外の何で人材を絞り込めばよいのかという人事的な問題の前では、大学が就職斡旋機関として如何に重要性を高めるかを自問したければ、いつまでも文科省のような落ちこぼれ官僚と付き合うのではなく、世界に広く目を向け、人材を求め、自主独立にて学問を立て直すべきに来たのであろう。

 

どだい、国立大学というものは、帝国大学という官僚養成機関が前進にあって、更には江戸時代の伝統を育む人材育成機関(武士と言う官僚を育成)する藩校であって、人材とは、もともと官僚としての即戦力の意味であるから、どだい基礎研究であるとか、あってもなくてもよく分からないアマゾンの奥地の植物とか、南極にいる寄生虫の研究など、とても本流にはなれない。

 

これはテレビ番組と同じ構造があって、ゴールデンタイムに様々なバラエティやドラマを流し、それで得た売り上げの一部を使って、毎週30分のドキュメンタリーを流す。

 

マスコミの本流で言うならドキュメンタリーこそが彼らの存在価値である。しかし、たった30分のその番組を支えるために、一週間もの間に馬鹿にされるような番組を流し続ける必要がある。

 

同様に金にならない研究を支えるためには、金になる研究が必要だ。さて、当然ながらお金を集めるためには文科省などと付き合っても仕方がない。まずは軍用である。次に医薬である。この二つをたぶんだけど、大学の集金マシーンの中心に置くしかない。

 

という事を考えてゆけば、文系は金になるのか、という疑問も最もである。もちろん、金になる。文化は金になる。そんなのワンピースを見てれば明らかではないか。ただ、文化の発信がお金になるとしても、大学での研究がそうなるかは知らない。

 

どこかの滅びそうな部族の言葉などにお金を出すものずきはいるだろうか。はたまた、何世紀も前に書かれた落書きにどれだけの市場性があろうか。

 

しかし、文化とはそういう幅の広さ、懐の深さ、裾野の拡がりである。そういうものが国家の強靭さを支えるという確固たる理念さえあれば、とても文科省が推し進めるような結論には至らないのである。

 

もちろん、彼らの言い分にも耳を傾けるべきである。既に予算は尽きかけている。ない袖をいかに振るかを考えれば、集金性の高い部分に集中する以外にない、そしてしっかりと利益を確保できる体質にした上で、拡がりのある研究に投入してゆく。

 

例え、それができる頃には、広げるべき裾野が全滅しているとしても。理念と現実はそういうものである。僅かな文科省の予算に群がるしかない大学制度では立ち行かないのは明らかと思われる。本当にそれが必要なのか、未来に繋がる研究なのか。そんな言葉を突きつけられて反論できる学問など何ひとつありはしない。

 

彼らが学問よりも天下りにしか興味がないとしたら。そのための予算を分捕る事に熱中しているとしたら。そんなもの、どうやって精査できるのか。ただでさえ予算のないこんな時に・・・

 

結局、最後は人を見てお金を渡すしかない。この人を見て決めるという事が出来なくなった時に、この国の衰退が始まると思われる。