尾木ママがAKB柏木を痛烈批判

ameblo.jp

 

 いやー、良かった、よかった。この人ってどういう人だろうと、ずっと不思議だったんだけど、この記事を読んでやっと分かったので良かったと思います。

支持してやまない熱烈なファンに対しては


しっかり説明責任伴いますよ


シラーっとスルーなんてあり得ません…


大企業のトップだって不祥事に対しては


記者会見開きます…


自分で起こしたトラブル
ファンへの裏切り行為に対しては

自分のアイドル生命かけてでも説明するのが当然でしょうビックリマーク


それを


カエルの面にしょんべんで


「来年頑張る」


はないでしょうビックリマーク


ファンも
世間も

 

バカにしているように思えてしまいますね…

 

この人の人間性。教育者、教師。”おねえ”という異質さを売りにマスコミに登場したけれど、やってはいけない事はきちんと理解して活動している。

 

二十歳を超えた女性がどの男と遊ぼうが遊ぶまいが、自由である。まずAKBというグループのローカルルールを守ろうが破ろうが、国家はこれに関知しない。次にその組織と無関係な社会もこれに関知しない。

 

当事者は自分たちのルールをどうしようが自由であるが、もしそれを本当にルールにしてしまって、契約まで結ぶなら人権侵害の疑いが濃厚と思われる。ましてそこに罰則規則まで設けているならば、人身売買の可能性も否定できない。つまり、これはお遊びのルールなのであって、その範囲で楽しむ分には問題はないが、それを少しでも超えるならば冗談では済まないのである。

 

これもビジネスであるから、このルール破りが話題となって盛り上がるのは歓迎であろう。そこにファンが、反対意見、賛成意見を表明するのも何ら悪い話ではない。あくまで遊びと自覚しているならば、である。

 

この人は語っている。悪い事をしたら誤りなさい、と。だが、何が悪いのか。それが謝罪しなければならない理由は説明していない。まるで、そういうルールがある事が絶対であるように語っている。まさか、遊びと本気の区別もつかないのか。

 

規則だから守りなさい。これがこの人の教育の基本スタンスだと思わえる。もっと言えば、それ以上の何も持っていない人と思われる。それで教育者としてテレビに出ることを否定しない。つまり、この人のポジションは商売が第一義にある。

 

目ざとく利を追求するのがこの人の判断基準である。もちろんビジネスだからそれでもいい。教育者の仮面を被ったキャラクターだとしてもビジネスならば問題ない。だが、だとすれば教育について語るべきではない。

 

下らないルールについて謝罪を要求するのはファンならばいいだろう。それも遊びの範疇である。だが、それを社会と結びつけ、ましては不祥事と呼び、さも教育として間違っているかのような口ぶりには辟易する。

 

教育とは、人間の様々な価値観とルールの摺合せであろう。ルールを守りなさいと命ずる時、すっぽりと何かを見落としていないか。そういう恐怖感を持ちながら、それでもこれを守るべきという信念が教育には必要であろう。

 

そういう自答のない所に教育があるはずもない。所が、この人にはそういうものが一切欠けている。ルールはルール。ルールならば誰かをガス室送りにするのも厭わない。そういう思想が見え隠れする。この人がただ、ビジネスとして自分を売り込むならば、文句は何もない。だが、もし「教育」という言葉を使うならば、とても同意できない。

 

この人のブログを読めば、この国にある幾つもの問題にコメントを添えている。その主張がどうであれ、問題を膾炙する役割は果たしている。その点ではこの人にも存在価値はある。

 

だが、彼の話には、何かを見つめ、自分自身に問いかけ、悩み、それで得た結論は何ひとつない。ない事だけははっきりしているではないか。そういう人はこんな風に人を責めない。

 

この人はビジネスのためなら自分の主張など簡単に売り飛ばす。いや、それを悪いとは言わない。お金を積まれたら誰だって、主張を撤回するのは当然である。誰がスターリンの前で好き勝手な事を話すだろうか。

 

だが、そのような自分を教師などとは絶対に呼ばない。それだけが絶対に譲れない場所である。と、よく見たら彼は「教育評論家」だそうである。なるほど、自分が既に教育者でも教師でもない事はよく自覚しているらしい。