テロへの手紙FBにつづった遺族が語る 世界から共感

《君たちに憎しみという贈り物はあげない。君たちの望み通りに怒りで応じることは、君たちと同じ無知に屈することになる》

憎しみの連鎖を断ち切るのは、人間の愚かさを指摘するものだが、この人の決意もまた凄まじい。当然の憎しみを、あなたたちと同じように無知の世界に屈っしたくない、という理由で断ち切る。

ダークサイドに落ちるという言葉を思い出した人も多いだろう。憎しみにとらわれることはダークサイドに墜ちることだ。それは私は選択しないという決断である。

この言葉がフランスから起きた。なぜか新しい扉を開くのがフランスからであることは多い。そこに何か、印象的なものを感じる。

もちろんこれはテロという問題ではない。宗教でさえない。多くのテロリストは、もともとが犯罪者であり、執拗な捜査から逃れるのにテロリストに変身する事が都合がよかっただけであろう。

しかしただの犯罪者であれば、自らの命を絶って都市攻撃を行うなどしないだろう。だから逃げた犯罪者のうち、命を投げ打ってまでも行うべきことがあると信じたものが攻撃者となったのだろう。

つまり、天命である。立場や手法や信じるものが何であれ、東洋で言えば天命を受けたのである。西洋ならば、啓示を受けたと言うべきか。

人はなぜ信じるもののためならば命さえ投げ打つか。もちろん、死を賭してまで自ら進むものもいれば、自分は生きて帰るつもりだったが、不幸にして倒れる場合もある。

現在の社会ではイスラム教がその土壌になっているようだが、イスラム教の何が都合がよかったのだろうか。もちろんのことだが、原理主義イスラム教だけの専売特許ではない。

キリスト教だって十字軍などバカバカしいほどの行動をしでかしたし、ヨーロッパ人が大航海時代にしたことなど、テロリストにはまだ整然とした正義があると思えてくる。

多くの争いが経済的理由から発するものであるから、これらの都市攻撃の背景にも経済的格差がないはずがない。そこに歴史的憎しみも加わる。更に言えば、ある社会における権力闘争のとばっちりもあるだろう。

人々がそこに集まるという事が何かを暗示している。基地外の集団として理解するのは思考の不足だが、社会から排除された人々の集団であることはひとつの解釈である。

行き場の失った人間たちが集団を作り、そこでコントロールを失い増殖するさまは、日本の歴史で言えば、豪族たちの台頭とも重なる。そこで、最も重要なのは、それだけの人間を養うのに、どれだけの金銭が必要であるか、という事である。

例えば麻薬などの事業がないのであれば、どこから今日の飯を得ているのかという話である。聞くところによれば、世界中から寄付が集まっているという。このお金の流れを追いかければ、そこに彼らに投資する理由が見つかるだろう。

如何なる理念思想信条があれ、これだけの大規模な集団が、烏合の衆で済むわけがない。経済活動が立ち行くだけの資金の流れがある。それをトレースしなければ見えるものも見えてこない。

しかし、そのような大集団がこれだけの暴力的に染まるのも珍しい気がする。振り返れば、彼らのやっていることの幾つかは、ほんの70年前にあちこちで起きた事と同じである。ナチスがジェノサイドを組織的にやったのに、全員を理想信条で染め上げる必要はなかった。

彼らは巧みに官僚組織を作り上げた。どちらかと言えば、国民に従うことを要求したのであり、自ら考えることをやめさせたのでもある。

爆弾を抱えるものに従うことを要求する。彼らを指揮するものは、理念信条を信じ込ませる。これらの構図は恐らく人の心理を操るメンタリストには容易い技であろう。

これらは所詮は、実行犯の話に過ぎない。では、そのもっと上にいる人たちは何を考えているのか。彼らは巨大となった組織を統率するだけで精一杯だろうと思われる。

暴発すれば、あっという間に制圧されるのは自明である。如何に外部に対して攻撃的であるべきか。

一体、彼らがどういう思想理念で動いているのかを、恐らくそれを知る意味はない。それは知った所で呆れるくらいに詰まらない願いだろう。

いったいイスラム教のどういう部分がそれに利用されたのか。なぜ他の宗教はそういう動きが起きないのか。それを歴史的視点も含めれて見渡せば、単に他の宗教では既に起きて収まっただけなのかも知れない。

どの宗教にもそういう側面はあるが、イスラム教だけが金銭的に恵まれた環境にないだけではないか。だとしたらその根底にあるのは何か。資金と宗教がどう結びついたのか。

逆に言えば、宗教だけがこのような土壌となり得るのか、それとも宗教はそういう土壌の典型例のひとつに過ぎないのか。

人間はなぜそれを信じるのか。信じているものを別の信じる何かでしか上書きできないとしたら、それはどうも泥濘の道だろう。

いずれにしろ問題の根っこにはアメリカの Iraq 侵攻がある。それが始まりとは言わないが、それが重要なポイントオブノーリターンであると思われる

911の時のアメリカの動きから、このフランスの方のコメントまで随分と時間がたった。911の時も全員が戦争に賛成したわけではないし、そのコメントには、平和であったり、憎しみよりも愛をという思想はあったのである。

しかし、911では奔流にしかなれなかったコメントが、今回は主流となったように見える。進んだ距離はほんの半歩に過ぎないが、これが歩んだ方向は正しいと思う。