相武紗季

女優にとって結婚はイメージを作る重要なイベントで、特に演技で勝負できない女優は、これが絶好のチャンスなのである。

 

もちろん結婚は諸刃である。新しいイメージの獲得と従来のイメージの損失のトレードオフである。当然だが、堀北真希は結婚相手の詰まらなさでイメージが失墜した。

 

こんな男を選ぶ彼女の底などたかが知れている、彼女の花は散った。そういうファンの勝手な嫉妬もあれば、いや、これなら離婚は当然の帰結である。離婚するまで待とうじゃないか、という異様なファン心理もある。当然ながら、事件、事故の匂いをプンプン嗅ぎつけて集まってくるタブロイドもいるだろう。

 

もちろんこれはイメージである。実際の彼女がどうか、彼女の実生活がどうかなど知るよしもない。こちらとしては芸能実話を読む気さえないのである。

 

結婚相手が女優に与える影響はもちろんイメージである。最近は結婚相手に社長という肩書を聞かない。それは当然と言える。社長という肩書=お金、新進気鋭=クズ、みたいなイメージしかないので、打算の象徴として思えないからである。たぶん、そこに愛はないとういうイメージが、恋愛映画に出た所で余程の演技力がなければ説得力を得られない。

 

それ以前の同業者との結婚も印象が悪い。どうも俳優=ドラッグという図式があるので、警告音が鳴りまくるのである。宮崎あおい矢田亜希子、など素敵な女優であっても、どうもババを引いた感は拭えないのである。酒井法子も同様で、別に失敗が悪いのではない。やらなくてもよい失敗に自分から選択していった辺りに、どうも一筋縄ではいかないセンスの悪さを感じるのである。それを払拭するものは彼女らの演技しかない。

 

だから最近は結婚相手のことを一般男性としか報じない。といっても相手の特定など一夜である。とても隠せるものではない。相武紗季の結婚相手も会社経営する人だそうである。それでも会社社長と言わない奥ゆかしさ。ま、芸能人と結婚する社長に碌な奴は僅少である。

 

結婚して暫く見ないなあと思って、また急にテレビに出るようになれば、これは離婚間近の兆しである。上戸彩とか広末涼子とか、どうなのかな、そうなのかな、と思ったりする。

 

女優という存在はCMで成り立っている。彼女たちは年齢に応じて、求められるイメージがある。その多くは家族であろう。それと性的な存在としての女優があって、その二つを基調として成立する。

 

子供の認知で話題を提供したデーモン小暮を見れば明白であるが、とかく家族というイメージが重要である。例え間違いに踏み込んだとしても、子供のためにと戻ってきた人に社会は寛容である。そうでない人に対しては不寛容である。

 

相武紗季、齢30にして結婚。10代の輝きが取り戻せるわけもなく、その頃に輝いていた彼女の中の幼児性も、さすがに30ともなれば気持ち悪い。

 

だから彼女は、彼女の中にある子供らしさを、コミカルさに変換して発表してきた。それが彼女の20代後半の表現である。

 

彼女の活動で特に致命的だったのが、ナレーションが上手くいかなかったことだ。声そのものが悪いわけではないのに、どうも、いまいちなのである。もう少し、時間が経てば魅力的になっただろうか。

 

いずれにしろ、彼女は演技以外の武器はなく、ずっとコミカルさを中心にしてきたが、圧倒的というわけではない。バラエティに通用するだけの瞬発力はない。かわいいと痛いが表裏一体の年齢になれば厳しさも増す。

 

彼女のコミカルさを引き出せば面白い作品も生まれるだろうが、それは非常に狭い範囲である。だが、ある意味で、その部分については他に抜きんでる可能性がある。それが、子供と遊ぶ姿。そこにコミカルさがあると、とても魅力的でかわいいお母さん、ユーモラスが加われば更にという感じがする。

 

そういうイメージのために結婚は絶対に欠かせないアイテムであった。ドラゴンクエストでいえば、ロトのしるしである。彼女のこれまでの演技には感動どころか、チャンネルを変える手を止めるだけの魅力もなかったが、それでも彼女が懸命に悪女になろうとしたり、何かを訴えようとする表情は記憶に残るものである。

 

それに彼女が登場するCMはとても好きだ。何より、彼女には圧倒的とは言えない存在感の中で何度も試行錯誤を繰り返している印象がある。とてもクレバーな女優ではないか。そのもがき方が魅力になるのである。

 

彼女が次にどういうイメージを作り上げようとするのかは知らないが、結婚はとてもすばらしい契機である。もちろん、これをきっかけに女優という職業を捨てる可能性もある。

 

彼女のひととなりはとても前向きで明るい。もちろん、これは全くの空想なのであるが、どのような道であれ、彼女の未来が明るければいい。