茂木健一郎「国会前で『FM東京』を歌った理由」

茂木健一郎ごときに感動するような知性は劣悪なのであって、そうはなるまいとずっと思って生きてきた。

しかし、彼の文章は、習字のお手本になるくらいには、いいものである。仮に、中身は空っぽでも構わないじゃないか。

この人の文章の魅力は、茂木健一郎という人間がすぐ近くで語っている、という感じがあるのである。そのひとつには、彼の顔も声も話し方も、よく知っているからである。Chage&Askaではないが、あなたの声をもっと、みたいなものである。


ここでは自分の思ったことしか語っていない。それを知りたければ箇条書きにすればいい。

1.清志郎さんを知ったのは「雨あがりの夜空に」
2.決定的に好きになったのはザ・タイマーズの活動
3.清志郎さんが好き。天才。

4.清志郎さんの音楽には「愛」がある。
5.自分を客観的に見る冷静な「メタ認知」がある
6.イギリスのモンティ・パイソンなどに匹敵する、世界的な水準

7.批判的ユーモアが、清志郎さんの真骨頂
8.その象徴が「化粧」で、それは「見られる」ことの表現

9.安保法案反対でSEALDsの奥田愛基君に誘われました。
10.何を話そう、と思いました。
11.もっともらしいことは言いたくない。

12.じゃあ、タイマーズの「FM東京」の替え歌を
13.歌詞は、その場の即興。

14.もし天国に清志郎さんがいたら、見てくれていないかな。

15.窮屈で不自由な社会、そんな時代に
16.もっともらしくない、愛のある、批判的ユーモアが求められている。

17.日本人が、よりよき人間になるために必要
18.清志郎さんは、ほんとうに、よき人間。
19.これからの日本にこそ、清志郎さんが必要

ここでの論点は清志郎とSEALDsを結びつけた訳になるのだが、それがこの文章から分かった人は天才。ここには書いてあるようで、そんなことは書かれていない。

単に政府のモノ申すのにタイマーズのイメージがよく合致したという意味合いしかないわけである。

しかし、大切なのはこの文章はそういうことさえ説明する気はなく、まるでさらさらと書かれている点が重要だと思う。このさらさら感が心地いい。


文の繋がりを見てみる。

ぼくが~なりました。決定的だったのは~と思いました。タイマーズの~です。天才~と思います。

清志郎さんの~と思います。そこには、~と思います。自分の~と思います。

愛に~でしょう。その象徴が~です。化粧をして~に感じました。

安保法案反対で~に誘われました。行くよ、と言いましたが~と思いました。どんなことであれ、~という気持ちでした。じゃあ、~思いつきました。歌詞は、~です。

歌いながら、~と思いました。何かと~と思います。

それは、~でしょう。清志郎さんは~でした。これからの~です。


ここには何も主張がないことの心地よさがある。誰かを強制したり、断定しようとしない人の良さがあるのだろう。

なにしろ立ち止まって考える必要がない内容である。清志郎がどうしたこうしたのどういう評価であろうが、実は読者にはどうでもいい。SEALSの主張さえここには書かれていない。

ただの日記、紀行文のようである。私は見た、来た、そして支配した。Veni, vidi, vici, みたいなものである。

思うに、兎に角、末尾の終わり方がいいのではないか。ひとつの文が次の文とつながる時、そこにはいったんの抵抗がある。どのように小難しい難所であっても、文の途中で読むのをやめてしまうものではない。

とりあえず、文の終わりまでは行くものである。すると、文の終わりとは、区切れであり、抵抗の場でありながら、次の文へのブースターの役割を果たさなければならない。

これが文末の重要な役割であって、それが足りないと、すらすらと次に読める文ではななくなるのではないだろうか。

文は大きく3つに分けることができる。頭の単語がまず話題を限定する。それによって、その文が積載している内容をガイドするわけである。次に、内容が乗る。それは多く、何かと何かの関係性の記述である。そして、文末で文を閉じることになるが、その時に、次の文章への橋渡しの役割をに担う。

それはリズムであったり、休憩であったり、気持ちであったりが乗っかっているわけだ。

さて、永井真理子は大笑いしたそうである。これだけでいっぺんに好きになってしまうのである。古館伊知郎は大恐縮してお詫びしたそうである。どうりでニュースステーションが詰まらなかったわけだ。