プログラミングの小学校必修化検討で議論勃発

日本の教育の原点は兵隊さんを作る事にある。これはよく言われる一般論である。そのお陰で日本では優秀な兵隊がたくさん生まれたが、残念ながら優秀な将校は皆無であった。それが先の戦争の結論であろう。

無能な将校にしては、日本はよく戦った。ひとえに兵隊が優秀なのであって、あそこまで戦い抜いたのは兵隊のおかげ、負けたのは将校のせい。あながち間違った解釈ではあるまい。

戦後生まれの人たちが思ったよりも無能の集団であることは、これらの議論を待つまでもない。まだ兵隊づくりでなんとかなると思っているのか。

優秀な兵隊は当然必要である。同様に優秀な将校も必要である。教育の本質はそこにはないが、同じ教育するなら、そこにも留意すべきであろう。

プログラミングなど鉄砲の打ち方と同じである。そりゃ打てないよりは打てる方がいい。兵隊で雇われたら、打った経験があるほうがそりゃスタートダッシュでは有利である。

しかし日本の教育であれ、企業の採用であれ、スタートダッシュで差をつけたものを取る事ばかりに気を配っている。つまり、若いときから実績を求めているという点では、それはひとつのやり方でしかない。

早熟な魅力もそれはもちろん大切であるが、日本語にはいくつもの熟があるではないか。この国は円熟というものを捨てに忘れ去って久しい。

という事は、それらはただ趣味の世界でめいめいの工夫の中で磨かれているというわけだ。その磨き方は各人の工夫の中にしかないから、当然ながら国家などが及びになる話ではない。

一部の天才であるとか、その方面に秀でたオタクを止める必要はない。また全く触らないよりは、触った方がいい。誰もが、コンピュータのある家庭で育っているわけではないからだ。

だが、産業競争力会議とやらは富国強兵というものをもう一度真剣に考えた方がいい。いまだに明治時代のやり方で、当の首相は、明治時代の憲法に戻したがっているようだが、この21世紀を乗り切ろうとする知性は度し難いものがある。

彼らは、おそよ、知能の欠落、知性の欠如、絶望的なまでの愚昧であろう。結局、この国は優秀な期間工ばかりを求めている。そこから脱却できないのが、この国のトップにいる連中である。

もちろん彼らは国の将来を憂いているのではない。彼らの中にあるイメージというものは、当たり前だが、小さな世界の中で、自分たちの利益だけが優先する世界である。

ある意味では競争相手を減らすような方向で教育を形作ろうとしている。手ごわい競争相手などいらない。自由自在に操縦できる労働者さえあればいい。使い捨てできるものが最上の人間である。

間違いなくそういう思想から出発しているのである。ゆえに、このような結論しか出ない。その辺の高校生を集めて30分もすれば出てくるような意見を50,60を超えた人たちが、税金を使って絞り出したのである。

結局、どうしてそうなったかと言えば、文部科学省はほとんどやるべきことをやったのである。もう役割を終えたのである。単刀に言えば彼らは暇なのである。だから、あれこれ制度をいじろうとする。

故に、答えは簡単である。日本の教育をよくしたければ、文部科学省の規模を半分にすればよい。退職させるもよし、配置転換して、地方の官庁に飛ばすもよし。

それで恐らくそれだけで日本の教育はずっと良くなるはずである。