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書き溜めの集積場

野中広務氏、自民復党を決定

長く政党政治が続いていると思っているけれど、実は日本の政党政治は、戦前のが破壊しつくされたので、戦後の歴史しかない。

戦後の多くの支持を得た自由民主党が長く与党であったのだが、思うに、政党というのは、最初に支持を得た人たちを決してないがしろにはしないものであろう。

その層のひとたちの票田に価値がある限りは見限ることはない。他にもっと強力な支持を得らえない限りは、決して見捨てることはない。

ここまではごく当たり前の流れだろうと思う。

問題はそうやって支持を与えた人たちも一年がたてば一歳の年を取り、二年すれば二歳の年を取るのである。

それが50年づづけば、50歳の年を取る。それでも多くの人の人が支持する限り、その人たちとともに歩もうとするのが政党政治というものだろう。

ここにおいて、自民党の主母体は老人である、という事が出来る。この人たちは、日本の復興から、高度成長、そしてバブル崩壊という興隆を支えてきた人たちである。

いまだに90歳の人を頼るのが自民党と呼ぶべきではない。彼らは最初から彼らとともに歩んだ。そして今も歩んでいる。老人に頼っているのではない。若いときから一緒にやっている間に、いつの間にか、時間が経過してしまった、というだけの話だろう。

もちろん、世代というものは受け継がれてゆく。自民党を支持しているのは老人だけではなく、そのあとに続く世代でも支持者の獲得には成功してきたのである。

当然であるが、投票率を見る限り、日本人の半分はすでに投票行動をしていない。つまり、奴隷階層である。残りの投票権を持つ人々によって、国幹は決定されているわけであるが、恐らく、この奴隷階層には若年層が多いだろう。

それがいまの日本の姿であって、それが政策に反映されるのは当然である。もちろん、一票に意味などないから、という主張は当然であるが、権利を行使したものだけが、意見を言えるわけである。

たった一票で我々は文句をいう権利を手にしているわけであって、選挙に行かないとはその権利も放棄しているに等しい。当然だが、基本的人権でさえ放棄したとみなされて同様である。

というような主張をする人はいないだろうと思うが、実際、票田にならないのは政治家からすれば雑草と同じことである。ただ、彼らがいつ権利を行使するかを恐れてはいる。

投票率が低いことでなんとか保てている状況において、もし投票率が上がればどのような結果が来るかなど、読める政党人などひとりもいないのである。

そういう意味では、投票しない人々は、民主主義の最後の虎の子であって、決戦兵器であって、もちろん、最終兵器かつ奥義なのである。

もちろん、ドラマにおいてそういうものが必要とされる場合は、すでに負け戦である。漫画のように最終兵器一発で勝敗が逆転するなどという都合のいいことは起きえないのである。不可能なのである。舛添ではないが、不可避なのである。

夢を見すぎという話だ。

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