指原莉乃 - 第8回選抜総選挙連覇

バイトルのCMを見ながらも、彼女たちの集金マシーンとしての巨大な存在感はすごいと感心している。

 

多くのお金が動きながら、その主人公たちである彼女らには、それを微塵も感じない。それに見合うだけの支払いはされていないと思う。彼女たちが凄いんじゃない、マネージメント力の勝利だと後方にいる人らは語るだろう。それでも彼女たちが人生のすべてをぶつけるだけの価値があるに違いないのが AKB だろう。

 

AKBという世界を作っている人たちにとって、彼女たちが輝くのは AKB という世界があるからだという事を知っている。AKB という世界の中でだけ成立する公式がそこにはある。ここは一種の魔法の国である。

 

魔法の国とは境界線を持つという事だ。あるラインを超えれば、そこから違う法則が成立する。それはディズニーランドもそうである。あの敷地に入った瞬間から世界が変わる。

 

そういう世界は例えば昔ならば教会がそうであったかも知れない。それをこの世界にもたらしたのが AKB だ。

 

だから AKB から現実の世界に戻った人たちの次の人生は厳しい。魔法がとけたシンデレラである。前田敦子はよい女優になった。ソープ嬢役がとてもよく似合う。

 

トップを取ろうが、二位を取ろうが、その後の人生に大きな影響はない。AKB を辞めた(または解散した)時から、有効期限の切れた免許証のようなものである。過去の栄光という足枷になる分、たちが悪い。

 

もちろん、それは外の世界での話だからである。こちらの世界ではただの紙切れが、魔法の世界では無敵の魔法陣として活躍する。そんな話はよくある。

 

この閉じられた世界での戦いが、どうも日本人は大好きなようである。アメリカンアイドルのような審査ものも日本にはあったが AKB とは次元が違う。歌が巧いだのルックスが魅力的だの、そんな事で AKB のトップが取れるなら、こんな簡単な話はない。

 

熾烈な技術競争などないように見えるが、本当の強烈な戦いというのは AKB の側にある。何故なら AKB には不思議の勝ちがある。野村克也松浦清が言う「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」である。

 

とかく我々は勝負の行方が大好きである。どうして勝ったか、どうして負けたのかという分析が大好きである。だが、それは大好きの一部に過ぎない。我々はどういう風な者が勝つのか、どういう者が負けるのか。そこに何等かの法則があるのではないか。それを発見しようとするのがとても大好きなのである。

 

勝利には法則がある。その法則を誰も知らないが、その法則に近づけば勝利が掴みやすくなる。それが戦いを有利にする。そのためには少なくとも勝っている人間の近くにいて観察することだ。激しい戦いに勝利した者は少なくともその法則を体現したはずだ。

 

囲碁に敗着という手がある。敗着とは、少なくともこれ以降、勝つ手がないことを言う。だけど、その手を打たなかったからと言って勝てたという話ではない。

 

誰もが勝利に貪欲である。だが、そこには勝利の法則があるはずだ。それが何か。少なくとも指原莉乃にはあって、渡辺麻友にはないものがある。それは何か。

 

恐らく考えても分からない。分かったとしても出来るとは限らない。であるならば、勝利の法則を欲するのは、単に己が勝つためではない。自分が勝利者でないとしても、少なくとも勝つ側に付く、自分が体現できなくとも、それを体現したと思われる人の近くに寄る、これが日本人の行動原理になる。

 

多くの武将は徳川についた。それはそれで結果的に正しかったが、小早川の裏切りがなければ家康が負けていたかも知れない。戦史に if はないが、武将たちはその前に決断をした。

 

勝利する至上さと比べれば、裏切りなど些細な話である。もちろん、戦後に小早川が冷遇されたという話はない。本家の毛利家(西軍)を超える石高が加増されている。若死にしたので、そこで評価が終わっただけの事だ。

 

正義も幸福もあなたにあげる、だけど勝利だけは譲れない。

 

そういう戦いがここにある。誰がトップに立つのかなど、氷山の一角である。多くの人々がどのように流れていったのか、その潮目こそが重要だ。

 

人々がどう動くのか、この戦いにおいて。何故そのような流れが出来上がったのか。これがビッグデータというやつか。流動性を見極める、水の流れを読むことが泳ぐ名人という話を聞いたこともある。

 

流れに乗る、潮目に逆らわない。これを知るにはどうすればよいか。多くの人々の動きなど簡単には知りようがない。元来、それを知るひとつが新聞やテレビであった。

 

流れが読み切れないなら、流れではなく流れの中に浮かんでいるブイに着目すればいい。波がどういう動きをするかは漂流物を見ればいい。広い海の海面に浮かんだ人々がいる。

 

AKB とはそういう存在だ。誰が一位を取るかではなく、誰が選ばれるか。そこにいる指原という個人ではなく、指原を選んだ人々の行動原理にこそ人々は興味する。

 

この流れというものは何か。その流れが生まれる理由は何か。山本平七のいう空気も、この流れを知る指標のひとつに過ぎない。なぜ指原はその動きの頂点に立てたのか。彼女の何が人々の流れを引き寄せたのか。指原莉乃は AKB の示準化石というわけだ。

 

そして今日の日は終わり、彼女たちの活動が明日からまた始まる。道を決める人、残る人、彼女たちの物語の中に勝利の法則がある。

 

我々は、それを見つけたいのだ。勝つためには何が必要なのか。運というものがあるなら、その正体は何か。勝利者だってなぜ一位になれたかは分からないはずだ。

 

だから、参考にするからどういう考え方で生きているのかを教えてよ、と誰もが聞く。彼女の言う通りにやって上手くいくなどと誰も思ってはいないだろうが、そこに何かヒントはないかと彷徨っているわけである。

 

彼女たちはミューズである。