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『シン・ゴジラ』最速レビュー!現代日本に現れた完全生物を媒介にする“現実 VS 理想”物語

 

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これを読む限り、シンゴジラは、ごく普通の危機管理サスペンスと呼べそうである。日本では快挙かもしれないが、ハリウッドには(実写でもドラマでも小説でも)幾らでもある。それこそ売っているほどある。

 

日本だとこういう政治を含めたパニックもの、緊急者と言えば何があるだろうだか。もちろん、歴史ものは除こう。

 

例えば特車二課の一番長い日などはそれなりの作品である。登場人物には、現場と政治家と官僚がそろえばよろしい。

 

日常なら、断然、ゆうきまさみである。政治家はあまり登場させないが、官僚を描かせれば日本一、いや、世界でもトップクラスの作家であろう。

 

小説はよく知らないがライトノベルまで含めればかなりありそうだ。民間のビジネスから官僚、政治、歴史、たくさんあるはずだ。

 

ただ最近の邦画にはまともなものはない。と断言して良い。邦画に携わるような人ではそういう作品は生み出せない。なぜなら決定的なまでに考えないからである。

 

だから庵野秀明の登場を待たなければならなかった。これは邦画界からすればいかんともし難い悲しい話である。部外者に託すなど地団駄踏む思いだろう。しかし、自分たちが悪いのである。彼に救われたと言うべきであろう。そしてこの映画が彼を救ったと書いてある。ちょっとした寄り道に過ぎないとしても、それは彼にとって莫大に重要な決定的な道草だったりしたのであろう。

 

可能ならこういう作品は311前に生まれて欲しかったと思う。何かの事件が起きる。それに政府や官僚がどのように立ち向かうかというのは、プロットの基本中の基本であろう。確かにそういうプロットの作品は幾つかあった気がする。

 

それでも、この作品の中に311を見るくらいに、あの出来事は深く刻まれているのである。よって福島とゴジラがシンクロしないはずがない。もともと、水爆実験から生まれたゴジラは、第五福竜丸から発想されたわけで、もしかしたら、ゴジラをまともに作るためには、日本で核関連の大きな事故が起きない限り不可能ではないか、と思わないでもない。それほどまでに邦画界に期待するのは虚しいという訳である。

 

それでも庵野秀明というのは希代のコラージュ(切り貼り)の作風であって、それはエバンゲリオンでいかに聖書をちりばめ量子力学を持ち込み作品に奥深さを与えた(ように見せた)かで一目瞭然である。

 

手塚治虫が作品の中にヒューマニズムを取り入れたように、庵野秀明は、歴史を取り込んだ。その実、そういうものにはちっとも興味がないのも、似ている。全く、そう、そんな所に問題意識など持っていない。

 

料理の材料とテーマは厳密に異なっている。そのくせに、コラージュが凄すぎてテーマと勘違いしてしまいそうになる程である。

 

彼が、自分たちにはもうオリジナリティなど存在しえない時代に生きている、という話をする時、その気持ちがわかる気がする。独自性がないなら、あるように見せる技術で逞しく作ろう。そういった読者へのなぞかけのような面白さがある。

 

だから、同じ脚本でもアメリカで作れば違うものになったであろう。しかし、ハリウッドの脚本家に見せれば、こんなのナンセンスというような処も幾つもあるだろう。それは仕方ない。彼らは日本を知らない。僕たちがアメリカを知らないのと同じくらいに。彼らがナンセンスという中に、いかにも日本らしさ、日本的なものがあるに違いない。

 

だから日本で作品にした意味がある。それにしては日本の俳優がダメなんじゃないか、スタッフが動いていないんじゃないかな、という気がしないでもない。しかし、優れた脚本は俳優を育てるという信念を信じるならば、この映画では素敵な演技を見せてくれる人もいるかも知れない。

 

幾つもの対立軸を立てて、その間にある友情や反発という絡み合いこそ、庵野秀明の真骨頂かも知れない。そこに演出の神髄があるかも知れない、などと過去ノ作品を思い返しながら、どうなんだろうと思ったりしている。

 

いずれにせよ、映画というものは俳優で決まる。俳優の演技でくっだらない脚本でもなんとかなったりするのである。

 

だからこの映画をみるかどうかは分からないが、これが庵野秀明の映画なら、見ておきたい気もする。彼は裏切らない。面白い、面白くない、深い、浅いなどは別にして、そこには必ず何かがある、そういう気がするからだ。