宇宙戦艦ヤマト2202

2199での造形のすばらしさを考えれば、さらばの地球艦隊戦というのは、これはもうどこまで素晴らしい映像にするかが最も重要だろう。

2199の地球艦隊を日露戦争だとすれば、さらばの艦隊は、まさにWWIIのそれである。艦隊戦という限りは、立派な海戦として描いてほしいのだ。

できればアンドロメダの艦隊戦を2~4回は見たいものである。

それと比べれば白色彗星とか、超巨大戦艦なんて、今時小学生だって説得力を持たないはずである。

白色彗星の中のコアがまるまる帝国都市というよりも、その彗星の中に建築された動く要塞群の集合という方が、絶対に説得力があるのである。

だいいち、さらばで月を破壊したあたりから、やまとのインフレ化が始まったと言って過言ではなく、今度こそは、それを阻止しなければならない。

マンネリとはいいつつも、ヤマトの艦隊戦というのはどれも見ごたえがあるように描けるものだから、脚本の人には十分な吟味をしてほしいものである。

「さらば」と「やまと2」では、もちろんだが、最後のメッセージ性がだいぶ違うものである。さらばは一度もみたことはないが、その後の続編を見る限り、黒歴史はさらばの方であろう。

第一の話である。ヤマト単艦で突っ込んで敵艦に命中する当たりがあまあまであるし、テレサも一緒に突っ込みましょうというのが、あんたが一人で突っ込んでも結果は同じじゃないかという突っ込みは大昔からあったわけである。

ご都合主義というべき脚本であって、あれで涙を流せた人の感性など僕は信じない。そういう人は話中で犬ころが死んだくらいでも十分に泣いたりするものである。

という話はおいておいても、さらばのラストが一種の特攻であることは疑いようがないし、テレサだけが突っ込めばいいという話からすれば、古代はもちろん犬死にである。

しかし、アメリカが特攻に畏怖したように、テレサもやまとが突っ込むならあたくしもお供してよ、という話だったので、ちょっと納得できないものがあるわけである。

その特攻はいまやテレリストの専売特許になって毎日だれかが爆弾を抱えて死んでいるわけである。

当然ながら彗星帝国から見れば、やまとこそがテロリストのそれであって、では彗星帝国はなぜ、宇宙を支配しようとしているのか、ここがこの物語でもっとも肝要であると思う。

ガミラスにはまだ移住しなければならない理由があった。あれだけの星域を支配しても、移住先が見つからなかった。そしてやっとみつけたのが地球であった、というとりあえずのガミラスとしての正義がある。それは西洋人がアメリカ大陸でやったことと比べればずっとまともな正義である。

だが彗星帝国はどうだったかな、というとそのあたりは悪の枢軸国という扱いで、理由がなかったような気がする。ここが肝心かなめ、物語の成功がかかっている。

彗星帝国をまるでナチスのように描くのか、それとも、彼らには彼らとしての理由があるのか、はたまた、まるで宇宙の軍隊アリのように、それを生態としてだけ描くのか。

また、デスラーをどう描くのか、客員として描くのか、それとも、それとは別の勢力として描くのか。別の解釈を持ち込むならば、ガミラス、地球の同盟でもいいわけである。

ではそれに対して彗星帝国とはどういう存在なのか。彼らは何をしようとしているのか。その目的は何であるのか。

深宇宙から、何かがくる。

ま、ただのリメイクでも、アンドロメダと主力戦艦がかっこよければいいや。地球艦隊 オリジナル と検索すれば、腐るほど、かっちょいいロマンが転がっている。

可能ならこれらの艦船を動かしてほしいなぁ。