石原元知事、豊洲問題は「とばっちり」 産経新聞に寄稿

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石原慎太郎は嫌いだし、こんな人間として生まれるくらいなら、虫にでも生まれてカマキリに食われる方がましだと思っているから、こいつが晩節を汚すのは笑いが止まらない。それまで強気できたくせに、今になって老人をあまりいじめるなとか言い出すと、ほんと笑いが止まらない。

 

くずが、としか思わない。例えるなら牟田口廉也か富永恭二である。この人が、ボロボロになるほど、ざまあないである。

 

だから、もっとやれ、追及しまくれとしか思わないが、では都知事が、果たして本当に埋めたのかどうかの設計案までを精査するものだろうか、と言われれば、当然ながら否定である。

 

答申を受けて、危険な土壌だから盛り土をすることで、安全性を確保する。そこまでは首長たるもの理解できたはずである。盛り土と言っても、地下水や水の流れが長い年月で地表に沁み出さないかなどの検証も必要であろう。しかし、そう指示するまでは首長の仕事だろうが、その後もずうっと正確に把握するのは仕事に含まれまい。

 

しっかりとした基準で選ばれたそれなりの専門家が、幅広い観点から検証し、こうすれば安全と言えるでしょう。その場合には、かくかくしかじかの制限が必要で、その後の運用はこうしておく必要があります。

 

そういう答申を受けて、それで Go するか、それでも No とするか、これが政治の決断である。

 

その上で Go と言った者が、例えばビルの設計図まで見るかと言えばそんな話はない。知っていないとしても当然である。

 

だが、この件はかなり話題になったのだから、何回も官僚と話し合いを持っていないとも思えない。その上で、このお調子者の愚者は知りもしないことでも平気で知った口をきくから、彼の指示に対して、周囲が反対したにも関わらず強引に進めた可能性も捨てきれない。というか、高い、というか、そういうシナリオだろう?そう誰もが思っている。だから激しく追及しろと言うのである。身から出た錆というが、それがこの男の末路としてはふさわしい。

 

だが、その一方で、当時の誰がどの部署に居たかも分からぬほど、東京都というのは無能なのだろうか。本気で追及するときに、藪の中という言い訳はありえない。

 

当時の担当者であれ、責任者であれ、調べればいいのである。とぼけられる、舐められるのなら、徹底的に追及すればいいのである。関係各人がとぼけの一字で頑張ろうとしていたとしても、人間を貶める方法は幾らでもある。

 

まずは、当時の責任者を、知ろうが知るまいが、追及する。責任者として損害賠償を追求する、その上で、家でも土地でも通帳でも差押える。

 

それでも何もゲロらないなら、まさしくそいつが犯人である。何かをゲロしたなら、減刑にする。こうして芋づる式に辿ればいい。

 

もちろん、江戸時代というか、昭和の憲兵のような捜査は間違いが起きやすい。だが、なめ切った官僚を追い込むにはシベリア送りくらいの粛清が必要なのは太古からの自然の理なのである。銀行通帳の凍結くらいは、穏健な政治の部類と言えるだろう。

 

いずれにしろ、こんな問題は本当はどうでもいいのである。東京でさえ、没落が始まっているのである。

 

本当に重要な問題は、豊洲にはない。