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書き溜めの集積場

「作家」と「ライター」の違いとは...

人は見た目が9割とか、人の第一印象は3秒で決まる!とか謂われている。当然だが3秒で話なんかはできないし、見た目では言葉など入らない。

つまり内面だの言葉なんかではその人の価値は決まらない。そういう話が一時期、流行った。だから、こうしましょう、というビジネスモデルである。

だが、もちろんであるが、人は肩書が全て、である。道こっろに座っているルンペンがいたとする。もちろん、人はその人を避ける。しかし、どこかの社長だの、億万長者であることが知られると人の態度はごろっと変わるのである。

人の好さそうなおじさんが実はやくざの親分なら態度も話かたもがらりと変わるのである。見た目も第一印象も肩書は微塵もなく吹っ飛ばす。

だから一番大切なのが肩書なのである。肩書が違えば不幸にも幸福にもなる。肩書が知られて、結婚がダメになった人など幾らでもいるのである。よって、問題の核心は肩書とはいったい何かという事になる。

多くの人はサラリーマンが肩書である。これほど、一般的でスライム並みに弱っちい肩書はない。だが、サラリーマンもピンキリという話であって、実は侮りがたい肩書である。そういう意味では、自分の本性を隠すのにこれほど便利な肩書もない。

安田一平の肩書は学生だからあの漫画は面白くなるのであって、大富豪財閥の息子(子供の継がせる時点で大した企業ではないのは自明だが)という第二の肩書が面白いのである。パターンの構造は、水戸黄門と同じだ。ご隠居というじじいが、実は徳川副将軍、綱吉も一目置く大人物である。

徳川光圀と同じ年に死去した契沖の最も有名な功績は契沖仮名遣いであるが、この仕事の素晴らしい点は、それに先立つ、定家仮名遣いの存在がある。鎌倉時代には既に音声の変遷において、わ音はあ音と統合されていた。この音声の単純化は、もちろん、子音の削減であって、そのおかげで日本語独特の音声が形成されたのだが、英語のヒアリングで困る要因にもなっている。

藤原定家は興味を持って読むとなかなか面白そうな人であって、ただの勅撰和歌集の選者であるだけではない。定家葛のような悲恋まであったりして、言葉への思い入れ、生活における面白さなど、映画にできそうな人だ。

肩書というものはもちろん、仕事を意味するだけでない。職種だけが肩書でないのが重要であって、例えば、面白くもなんともない芸人であっても、芥川賞の肩書がつけば、なんかすごいと言ってもらえるのである。

勲章の中でもノーベル賞の肩書ほど強力なものはない。ファインマンは辞退する方法はないのか、と聞いたりもしたそうである。そういう肩書には無頓着な人だったのだろう。

メダルを見せてくださいと問われて、どこにやったかなぁ、その辺の箱の中にあるはずなんだけど、という受け答えをする人もよくいるものである。

自分を含めた多くの人にとって、賞をもらうまで、まったく知らなかった人というのは幾らでもいる。どんな仕事でも表彰させることは価値がある。それは自分の能力が評価されたというより、周囲からの態度が変わる点にある。

よって肩書とは集団の中で自分の位置づけを決定するファクターであるといえる。賞、資格、役職、階級などなど。位置づけできるものはすべて肩書になる。肩書には硝酸されうものと、嘲笑されるものがある。前科など、どこにいるかで賞賛されたり、嫌悪されたりするものだろう。

肩書が重要な職業というのはあるし、また肩書によって仕事が変わる人にとって、つまり、これはアイコンなのだ。アイコンにこだわる人もいれば、いない人もいる。だが、アイコンこそがセルフマネジメントの最たるものである。

つまり、セルフマネジメント術というものがこれからもっと話題に上がってくるだろうし、そういう知見が膨れてゆくのは間違いないだろう。そういうものはアメリカの方が発達しているようだが、それゆえにアメリカは生きづらい社会になっている側面もある。

というわけで、今の一番のアイコンはやっぱりトランプだと思うのね。

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