岡山県民「ウィンカー嫌い」の理由 だったらプチプチで包んじゃえ?

左折レーンで左に曲がることが分かっているのだから、いちいちウィンカーを出さなくてもいいじゃないか。

という意見があることは知っている。それを聞いたとき、その人に対する評価は次のふたつ以外はあり得ない。

ひとつ。左折レーンにいる人は必ず左折するという事が前提。我々の社会ではそれが既に達成できているという主張に他ならない。

当然だが、思い込みや間違い、空いている左折レーンを使っての追い抜きなども一切起きえないという主張である。突然、心不全を発症して無意識ながら左折レーンに入ってしまったという事も起きえないという事だ。

こういうあらゆる間違いが起きないという前提にたつならば、それを主張する当人においても、昔から学校のテスト程度、あらゆる間違いをしてこなかったはずで、すべて100点を取ってきたであろうし、入試も満点以外はありえない。

そんな知性を持つ人がなぜ未だに日本にとどまって、無名のままなのかは尋ねまい。だが、そのような前提において、もうひとつ約束されなければならないことがある。

これまで、一切の間違いを起こさなかっただけではなく、将来にも起こさないと誓える人である。

一般的にそういう人の事を愚か者と呼ぶ。

次に、ウィンカーがなんのために出すのか理解していないというケースだ。そんな人に免許を与えた県警も県警だが、理解できない方もどうかしている。

ウィンカーを出すのも、ライトを点灯するのも自分のためではない。もし、夜間にライトを点灯するのが前を見るためであれば、都心の街灯で明るくなった道ではライトをつける必要はない、という話になる。実際、都心ではライトなどつけなくても問題なく車は走れたりするのである。

それらは自分がここに存在していることを周囲に通知するためだろう。明かりがあれば、それは人がいる証拠だ、と遭難した小説によく出てくるが、それは日常でも同じなのである。

後ろから明かりがすれば車が近づいていると考えるのが当然だし、ウィンカーを出していれば、まがりたいのかな、と周囲は警戒する。その中には、曲がる気がないのに出している人もいれば、曲がる気があるのに出していない人もいる。

この場合、フェールセーフの考え方から言えば、曲がる気があるのに出してないより、曲がる気がないのに、出している人の方が、問題は少ない。周囲が警戒する分だけ、安全係数が高まるからである。

早めに出したら車にぶつけられたという事故も、そもそも警戒すべきところを完全に相手を(と同時にそう解釈する自分を完全に信じ込む)ところから発生たいわけだ。

とすると岡山県民は目の前で起きていることを信じやすいのではないかと考えられる。信じやすいたちというのは良くもあるが、悪くもある。

ということで http://todo-ran.com/t/kiji/15316 のサイトを見てみたら、振り込め詐欺の件数で堂々の第三位である。たぶん、これは件数が多いという事だから、わざわざ狙われていると考えた方がいい。

人口比で考えたら岡山県は突出しているといえるだろう。だが、これはちょっと統計の研究が待たれる話ではある。和歌山県だとか広島の高いからである。

だが、まぁ、そこまで厳密に言わなくても、岡山県はマナーとかルールとか訴えるべきではなく、頭が悪いの一言でいいのではないか。だから、ほら、振り込め詐欺でもこれだけ狙われているでしょう、、、という話である。

ま、本当かどうかは怪しい話しだが説得力はありそうだ。。。