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私鉄の駅名に「部落」 グーグルマップ、再び改ざん被害

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この記事にある井上トシユキさんのコメント。これを書いた朝日の新聞記者の主張なのか、それともこういうニュアンスで話したのか。それは分からないのだけど。

 

「通報から削除まで1日かかったのならネットの社会では遅い。ヘイトスピーチやマイノリティー差別をめぐる書き込みは拡散しやすく、削除依頼にはさらに速やかに対応すべきだ」 

 

このコメントは凄いと思う。google を介して培われたインターネットの常識を使って、google の g の字にも及ばない考えから、よくこの程度の社会常識で google を批判できるもんだ。もちろん、瞬時にできる方が望ましい、その程度、子供でも結論する。

 

 google でさえ一日かかるなら、世界のどこにそれよりも早く対応できる企業があると思っているのか。批判を批判はしない。だが考えが足りないのではないか、くらいは言っても良いのではないか。もちろん、誰だって十分に考えたらずである。真砂よりも多く、青海より深く。

 

google たちが強靭化してきたインターネットの世界である。それを支える根幹の思想は「出来る事を無理せずにする、ダメなら諦めてもらって結構。」。これがインターネットのプロトコルが根幹とする思想であって、そのうえに幾つもの土台が築かれて来たのである。その全てはこの根幹を尊重した上に誕生したのである。

 

もし、早急な対応と言い出したら、google が出来るだけそう努力するだろうが、それ以上を望むなら、取るべき手段に良い方向は見えない。有料にして許容できる人だけにサービスをするか、または g-map のサービスを停止するかであろう。それは困る、と言った所で所有者は google 致し方なし。

 

社会のインフラとなったインターネットである。インフラではあるが、国家が運営に関与していない。という点が画期的であって、インターネットは少なくともこの国の政府が自由にできるインフラではない。そして全ての人にとってなくては困る状態になった以上、それを支えるのが全員の意思になる。

 

細胞がミトコンドリアを取り込んだ時から、もうそれなしでは存在できなくなったようなものである。その中のひとつに google もある。彼らのモットーである dont
be evil を、悪質になる気になれば人間は幾らでもなれるよね、だけど 人にはそれを evil かどうかを見分ける力があるよね。それを信じた上に自分たちはいるよ。と解釈してもいいだろう。

 

インターネットにもディープウェブという深淵もあれば、多くの人が謳歌する日の当たる場所もある。そこにあるものはこの現実と同じだ。その世界で、google には自分たちの強力な力を持って、人々の批判を抑え込む力がある。ひとつの企業を恣意的に潰すなど容易い。そういう能力を有する。一日では遅い、もっと早く修正しないのならば、インターネットの世界では遅すぎる、という批判に対して、真っ向から敵対する事も、無視する事も可能にする力がある。

 

では彼らの the Right Thing とは何かという話が残る。それが google の恣意的なものにならないのか。そうでないとどう保証するのか、という話である。

 

そして、結論はそんな保証などないし、保証もしない。我々は evil になろうとは思わない、可能な限り Right Thing を欲するが、それはすべて「無理をしない範囲で」が前提である。だから、我々は間違いをしないと保証することなどできない。となるだろう。

 

そのような緩さに立脚することは本当は恐ろしい。いつ豹変するかもわからない。彼らがその気になれば国家レベルでつぶす事さえ可能だ。

 

だが、よく考えれば、それはこの世界と全く同じではないか。法があればそれで正義が達成できるはずもない。日々活動している多くの人々が支えている社会である。我々の理念が完全に正しいとは限らない。知らぬ間に誰かを苦しめていたなど幾らでもある。それを知らぬまま死ぬことが普通だ。

 

ただ、信じてもらうしかない。そのためには、我々は我々のする事を多くの人の目に触れてもらうようにする。多くの人に、我々のしていることを見てもらいたい。それ以外になにひとつお互いを信じる道はない。我々に興味を持ってほしい、我々のサイトにたくさん訪れてほしい。

 

それは彼らの商売そのものである。

 

 

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