被ばく:体内に総量36万ベクレルか 原子力機構事故

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2011年の付け焼刃で勉強した身だから、実際のところ、詳しい事は知らない。それでも4シーベルト/h で一般的には死亡という話は聞いたことがある。

 

だから人体でシーベルトなんて単位が出てくる日が来ようとは夢にも思わなかった。それも福島の事故から10年も経過していないのである。それが原子力の専門施設で起きたのである。

 

もう日本人はダメだろう、と結論してもよい事例と思う。この国の国民には原子力を扱う能力がない。能力がないのだから、何をしても、無理無駄である。根本的に欠如しているのだから。

 

シーベルは影響量だから、足し算で考えても有効だ。一年で50mSvというような形で用いられる。しかし、強さで考えるなら時間という単位は揃えた方がいい。

 

1.2シーベルトとあるが、これが年であるから、月ならば100ミリシーベルト。これを30(日)で割れば、3.3ミリシーベルト/日、これを24(時)で割れば、毎時0.12ミリシーベルト。120マイクロシーベルト/時となる。

 

0.19ミリシーベルトが東京ニューヨーク間の航空機の中で被爆する量。だいたい10時間での積算だから、それよりは強い。

 

宇宙飛行士の被爆が0.5から1mSv/日というから、それよりも多い。だいたい年間で多くても50mSvが常識的なラインだから、この数値は異常すぎる。

 

「1年間で1.2シーベルト、50年間で12シーベルト」という計算を聞いたがその理由は分からない。単純に1.2*50=60シーベルトとしないのは、体から排出される量を考慮した結果なのだろうか。だが、肺はタール(煙草)も取れないし、石綿も残る。プルトニウム239が排出されるものなんだろうか。半減期は2万年である。

 

もちろん、容器の中がビニールで覆われていたなど、開けて見るまで予想にもしていなかったに違いない。ましてそれが破けるなど(放射線でビニールがどのように劣化するかを知らなかったとは言わせないけど)、確かに、それは予想外、想定外であろう。

 

だが、僕は専門家ではないし、また事後であるから言えるのだが、想定できないなら本来は最悪を考慮して動くのが本筋というものだろう。ならば、もう少し厳重にやるのが正道であったはずだ。ビニールが破けないとしても、何かの拍子に落っことしたり、ひっくり返す可能性だったあったのだから。そのような想定はできなかったのだろうか。なんといっても相手はプルトニウムなのだ。

 

それを想定できないのなら無能であるし、予想していたなら不作為の怠け者である。いずれにしろ有罪である。

 

原子力機構は、我が国唯一の原子力の総合的研究開発機関として幅広い分野にわたる研究開発を担う使命を負託されています。大洗研究開発センターでは、仕様の異なる照射後試験施設等を活用して研究開発を進めてまいります。 

 

これは原子力機構のホームページからの一文である。なんか虚しい。この程度の事故を起こして、という批判からどう立ち直せばよいのだろうか。

 

いくら「幅広い分野にわたる研究開発」とはいえ、わざわざ人体実験までしてくれなくても。。。ありがとう、とさえ言いたくもなる気分だ。

 

Japan Atomic Energy Agency、国立研究開発法人日本原子力研究開発機構。かのもんじゅで大失態を続ける組織である。なぜ、彼らにはこれだけの事故を起こし続ける事ができるのか。もちろん、最先端に取り組んでいる、という理由では納得できない。

 

事故を後から見直せば、あれ、これは単に怠慢かましただけじゃないか?と思われる事例が多すぎるのである。どうやっても仕方なかったという結論になりそうにない。もちろん、怠慢の根本は、予算と時間が原因である。

 

例えば、20万以上のチェックリストをもつ施設を数人が一か月でチェックするとなれば、それは本来からして無理である。徒歩で月まで行きなさいというのに等しい。それでも Do It と言われたら、手を抜くしかない。あとから見れば、怠慢であるように見えるのも仕方ないのである。

 

限られた予算と人材。どのような企業であれ、国家であれ、組織であれ、家庭であれ、同様である。その中でここまではやれる、こっから先は危険である、という嗅覚が必要である。だが、往々にしてこの国はそのような現場の嗅覚を感じ取れない無能が出世する人間関係で成り立っている。

 

それが出来ない、と考えるまでは簡単なのである。だが、世論であったり、上司や政治家からの強い圧力を受けて、出来ませんの一言が言えない。その一言がケンタウルス座(4.25光年)よりも遠い場所にあるのである。

 

これほど難しい、困難な言葉もない。同じ事は中国大陸でも起きた。だれも「できません、やりません」と言えない中で、関東軍は中国大陸に次々と軍を進めたのである。これを止めるのに総司令官として梅津美治郎が任地するまで待たねばならなかった。

 

なぜこの機構は怠慢と思われるような事故ばかりを起こすのか。彼らが行っている危険性の割りにはこの事故も含めて、少ないと呼べる類のものなのだろうか。そこが分からない。この事故が妥当であり、回避できぬ事故であったとは思えないのである。

 

なぜひとつの仕事さえきちんと進めることができないのか。日本でも最高度の危険物質のひとつを扱っている組織ではないのか。現場に科学者が足りないせいなのか。それとも優れた事務方のリーダーがいないせいなのか?

 

原子力というものは科学者だけでは進まない。事務方だけでもどうしようもない。するとここには組織的欠陥があると考えて妥当なのである。だからプルトニウム半減期よりも長く反省した所で、機構の体質は変わらないはずである。そのあたりの事がどうも見えない。反省だけでは決して立ちなおせない。ではどうすれば?

 

さあて。そこが問題だ。