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書き溜めの集積場

下手な人はビビり・批評家・完璧主義・腰が重い・頑固。専門学校講師に聞く物語づくりの上手い、下手とは?~下手の研究①

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そんなに魅力ある主人公の作り方を知っているなら、自分がやってみればいいじゃないか、代表作は何があるんだ、という議論はよく起きるものである。

 

こうすれば作れますよ、というなら、自分でやってみればいいじゃないか、という話である。こうすれば儲かりますよ、というなら自分で実践すればいい。儲け話をわざわざ人に教える必要があるものか。詐欺師の常套句である。

 

もちろん、分析と実践は全く別のもので、それは金星と火星くらいに違うものではある。よき参謀がよき大将になるとは限らないのである。リーダーになる人にはその資質がある。それは誰もが持てるものではない。もちろん、この人だってそういうことは百も承知のはずだ。

 

当然だが、逆もまた真なり、ヒット作を生み出した作家の創作技法が常に一般的とは言えない。

 

論理学によれば、「PならばQ」という命題が成立するとき、逆「QならばP」も成立する、というのは偽であって、常に成立するとは限らないというのが正しい。常に、ということは成立する場合もある。つまりケースバイケースで真なりである。

 

P⇒Qの組み合わせには次のものがある(^は否定。でないの意味)

  1. P⇒Q(命題)
  2. P⇒^Q
  3. ^P⇒Q
  4. ^P⇒^Q(裏)
  5. Q⇒P(逆)
  6. ^Q⇒P
  7. Q⇒^P
  8. ^Q⇒^P(待遇)

※ちょっと細かい所、いや本筋さえ間違っているかも。。。

 

「逆」が成り立たない例として、ネットでさくっと検索してみたら次の例があった。

手塚治虫は漫画家である」の逆、「漫画家ならば手塚治虫である」は偽である。集合として見れば、手塚治虫は漫画家という集合の一部だからである。必要十分条件の場合のみ、逆も真と言えるようだ。手塚治虫は漫画家であるための十分条件(漫画家の一部という事)でしかない。必要条件ではない。

 

これは一般の仕事でもよくある話で、有能な分析官だからと言って有能な実務者とは言えないのと同様の事例だろう。よきアドバイザーが必ずしも優れたリーダーではないのと同じだ。逆もまた同様に。

 

面白く漫画から得られた知見、この場合はパターンと呼んでよいが、それが必ずしも面白い漫画を生む論理的帰結ではないという話になる。

 

しかし、それらのパターン分析が全くの無意味かと言えば、そんなことはなくてそれが役に立つ作家だってたくさんいるはずである。

 

だが、しかし。すべての面白くないパターンに合致せず、非の打ちどころのない作品であっても、面白くないものはあるし、逆に、すべてのパターンに合っているように見えて、面白い作品もあるだろう。読者の嗜好、もっと言えばどの琴線に触れるかなんて、あらかじめ分析できるはずもない。

 

小林英雄は批評の神様と言われてきたし多くの小説を批評してきたが、もちろん、彼が若い時に書いた小説など、にっちもさっちにも行かなくて、そんんな事は当人だって痛いほど知っていた。もともと小林秀雄は小説家脂肪である。彼は小説家を断念した批評家なのである。だからと言って、では彼の批評が小説より劣るかと言えばそんなことはない。

 

なぜなら、彼は批評家と呼ばれているが、当人としては批評する気などさらさらなかった。小説家が小説の中に自己を表現するように、批評の中で自己を表現した。つまり文体が違っただけなのである。

 

じゃ、おまえが書いてみろよ、というのは怖い言葉である。キリストに向かって、じゃ、お前、そこの壁から飛び降りてみろよ、と言ったのとまったく同じ構造だから。

 

人はパンのみで生きるにあらず、という答えにもなっていない答えを持ち出した所に彼の偉さがあるし、そこで得心できるように人間の脳は出来ている。そこが面白い。

 

じゃ、お前もやってみろよ、と言われるという事には、言われた側にも何等かの気持ちなり感情が隠されているわけで、本当の売れっ子はそういう分析された所で、実際にやってのけた自負がある、そうだねぇ、そうだねぇと、愚にもつかないケンカなどしかけないだろう。

 

すると、両者の中には乖離があるはずで、もともと見ている先が違うはずだ、という結論になる。面白くない漫画にはこういうパターンがあるというのは、帰納法であるが、面白い漫画にはこういうパターンがあるは人間の手には余りそうだ。ひょっとして AI ならば。。。

 

グラマー好きの英語下手が、ネイティブスピーカーの前でたじたじになったとしても不思議はないのだが、傍からそれを見ている人はせせら笑ったりするものである。知識が実戦で負けたというやつだ。

 

おまえ偉そうにそう言ってるけど、それドストエフスキーにも言えるんかい、という突っ込みみたいなものである。それは真摯に受け入れるしかあるまし。つまり、畢竟、それは文体なのである。内容でない。言い方ひとつ。

 

いずれにしても、「理屈だおれのシュターデン」と呼ばれないように気を付けたいものである。だが、それは、無理そう。