「お酒飲みながらしゃぶるのがうみゃあで」 サントリー「コックゥ~ん!」CMに「下品」「下ネタ」と批判相次ぎ公開中止へ

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何を今更の気がする。サントリーとか電通(CMは違う?)程度の素人はこういう所に手を出しちゃいけない。炎上するかどうかなんて、ほんの数mmの差だ。

 

ぎりぎりを攻めるのは、これはもう経験だけでは足りなくて、風も読まなくちゃいけない。隣ではOKでもこっちはNGもあるし、昨日までOKだったものが今日はNGもある。AさんがやるのはOKでBさんはNGだってある。

 

このCMだってタレントが違えばOKだったかも知れない。フォントや字面を変えるだけで変わっていたはずだ。危険と知っていて突っ込むならもう少し慎重であるべきだ。そういうのは最後は製作者のセンスだと思うけど、どうやら読み違えたらしい。

 

このCMのフォント(書き文字の字面)がまず不快だ。そこからイメージするものがキモオタである。笑いのない所が致命的だ。

 

こういうのはテレビでも同様で、新垣結衣にキノコのようなものを食べさせたりとやってることは変わらない。どこまで本音で突っ込むかというチキンレースがほぼ出来レースになっているけれど、お昼の番組なんて、そういう手腕が買われた人、そういうものを鎮静化できる人、その配置の妙で成り立っている。

 

オフェンスとディフェンスはペアで行動する、アルカリと酸は混ぜたら危険、そこがテレビの面白さだ。それでも最後はきちんと中和して安全に終わりましょう、というのが基本原則である。オチをつけるとはそういう事だ。このCMにはオチがない。違う言い方をさせてもらえるなら、オチをつけるとは、この世界の穢れを浄化する、という事である。

 

テレビなんてどれだけ過激に見えても、しょせんは飼い犬が吠えているようなもので、ま、軍用犬ともなればそれなりに怖いのだけど、迫力だけで言えば、そりゃ狼が一匹紛れ込んだらシュンとするしかない。ま、狼みたいな人は、たいていはだだの基地外だけど。

 

ほとんどの邦画はAVの前哨戦に過ぎない作品ばかりである。それを喜んで告知して誰も文句は言わない。いまさら女性がサントリーを飲んだところでどんな文句もありゃしない。あれはエロが不快というより出ている女が不快なだけである。エロは後付けだ。

 

最近のアニメだって、そのほとんどは声優が幼児のような声を出すものばかりだ。そういう演技しか見せてくれない。それを癒される、かわいいと呼ぶか、不快に感じるかは人それぞれだ。

 

ここで子供はキーワードになっているかも知れない。滅びの民族が子供に敏感になるのは不思議ではないからだ。

 

こういう現象は個人の精神的な複雑さと社会的価値観の間に生じた摩擦としての側面を持っている。単純に価値観で判断できない類のものだ。この世界にある醜いもの、汚いものも、誰かにとっては美しい大切なものかも知れない。この中止にもさまざまな意見があって然るべきだ。だがこのCMで狙っていないというのならそれは不誠実だ。

 

性的倒錯 - Wikipedia

 

WHOがこれだけのまじめに分類しなければならない以上、これは病気というより、もともと人間がもつ精神性の広がりとか、多様性の一種ではないだろうか。

 

人は自分の奥底からの呼びかけに聞かないふりはできる。だが、どれだけ逃げても、自分の影からは逃れなれない。ザ・カゲスター!!

 

野口竜 遺稿集