かっこいい、という言葉は4-5才児の口からも出てくるもので、人間の認識能力のかなり根源的なところにある感情であることは間違いない。
ルネサンス期の絵を見ていても、キリストでは満足できず、天使という題材こそがかっこいいと感じていたのは間違いない。やっぱ天使かっこええ。じゃ対抗する悪魔は。。。いやいや、これもやっぱかっこええという話である。
これは仏像でも同じで、新薬師寺12神将なんて、どうみても聖闘士星矢である。阿吽像しかり、阿修羅像しかり。かっこええ。カッコ悪いのは広島にある阿吽像くらいなもんである。
さてガンダムである。ガンダムのカッコよさについて語るなら決して避けて通れないのが∀であるが、これが意外や意外、Gレコよりも上の24位。Z^2より二つ下。ま、∀カッコ悪いっていうやつ、カッコ悪いって圧力も当然あったんだろうとは思われる。
でもおひげさんのカッコよさはやっぱり動いてなんぼの所があって、冨野節ってセリフだけでなくて、戦闘シーンの終結に向けての怒涛の波状さってのが、彼の作品でしか味わえないエクスタシーがある。絶頂感って言うべき?
デザインとしてのガンダムと戦闘シーンとしてのガンダムってのは少し違う。ではガンダム史上最高のかっこいい戦闘シーンはどれかって聞かれたらターンXとの戦闘シーンになるか。
じゃガンダムデザインのカッコよさってどこさ、という話になるけど、それはもう盾だ。盾の存在が圧倒的。ファンネルとか背中の羽だって盾の応用編である。
盾というのは世界の歴史上、ローマや秦やモンゴルなどの陸軍大国だけでなく、森林の奥地で生きる人々も持っていたりして、あらゆる場所に見出す事のできる装備なんだけど、どれを持ってきてもガンダムほど洗練された盾文化を持っている歴史はないんじゃないかと思ったりする。
日本では手に持つタイプの盾は廃れた。もちろん戦船などには盾が両舷に装備されていたりするので盾の効能を知らなかったわけではない。ただ槍や弓などの攻撃武器が両手を必要とするという実用上の要請からであって、そのかわり甲冑が発展したと言われる。大袖なんかは盾の応用だろうと思うが、感じはザクである。
ガンダムのデザインはギミックの多さ(つまりは曲がる場所を増やすという事)、背中に羽を付ける方向に進んだ。長くシリーズ化された類似の作品がないので比較は難しいが、巨大化、背中に羽を付ける、ごてごてとした装備を複雑にする、アンテナや角をにょきにょきさせるという形状の変化はひとつの方向性である事は間違いない。卑近な例ではトリケラトプスがそうである。
戦艦三笠と戦艦大和を比較しても同様だ。どちらが後期型、発展形であるかは何も知らなくても、装備の数から一目瞭然である。ある方向に連続性がある場合、巨大化、装備の多さ、形状の派手さ、複雑さ、鋭角化というのが主流ではないか。
一方で戦艦大和と護衛艦こんごうを比べれば、近代の軍艦はとてもあっさりしてる。プラモデルでも戦艦がいまも人気あるのはそのせいだろう。そういう比較では空母でさえ、あっさりしすぎている。だからロシアの艦船には独特の魅力があるのか。
フジミ模型ちび丸艦隊シリーズはいいなぁ。
いや、いずれにしろ、技術的な革新、素材革命などがあった場合、デザインはいちどシンプルに戻る。この法則も捨てがたいものがあって、デザインを洗練したものに戻す事で優位性を表現する場合もある。例えばヤマトとアンドロメダのデザインはその類型だ。ティラノサウルスとガルスガルスを比べれば、後者こそ進化した先の姿という気がする。彼らは食べられる事で大繁殖したと言えるだろう、そういう進化もあるという事だろうか。哀。