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衆院の新勢力 全465議席が確定

 

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日本の対抗勢力とは、保守とリベラル、左翼と右翼なのか。もちろん、依然とそのような見方しかできないマスコミの眼識の弱さである。保守とリベラルについて明確な説明をできる者がいないにも関わらず、それ以外の視点は皆無である。これは混乱と呼ぶべき状況である。

 

政治的対立は常に完全なそして単純な二分割になど出来ない。それでも、この混乱によって、幾つかの対立軸ははっきりしてきたと思われる。

 

その大きなカテゴリーには次のものがある。

  1. 経済政策に関する対立
  2. 自衛権に関する対立

おおざっぱな分類。

  1. アベノミクスに対する評価 - 継続か、中止か
  2. 憲法改正して自衛隊、または軍隊保有を明記するか

 

経済政策の詳細な項目。

  1. 量的金融緩和 - お金の発行量を増やす
  2. 財政出動 - 国債の発行による公共事業の拡大
  3. 消費税増税 - 財政健全化、政策財源の確保
  4. 成長戦略 - 労働市場規制緩和、解雇しやすさの実現

政府が空からお金をばら撒けば、それを拾った人は使うでしょう、というのが経済の基本政策である。まさかヘリコプターからばら撒くのも非効率なので(そんなはした金では効かないので)、もうちょっとフォーマルな方法を取るのが上記政策である。

 

その目指す方向は単純で、仕事を増やせば経済はよくなるね、という誰にとっても納得できる結論ではないかと思う。ではどうやれば仕事が増えるのか、という所から議論が激しくなるのであって、異次元の金融緩和とか言っても、天文学から見ればたいした数じゃない。

 

だが、ひとりに4000兆円も配ればいいじゃんというのは極端な意見である。もしひとりが4000兆円も持つようになれば、誰がチロルチョコを30円で売るか、という話になるからだ。

 

ゆでガエルではないが、インフレは昨日と同じ価値である思っている状況でいつの間にかお金の価値が下がってないといけないはずである。インフレ期待で必ず物価上昇が加速すると考えるのは恐らく短絡なのだ。

 

冬を前にした動物がなんでもかんでも食べると思うのは短慮であろう。たとえ腐ろうが不味くなろうが土に埋めておくという手段がある。冬が長く、より厳しいと思えるほどそういう行動が多くなるはずだ。小泉改革の痛みの時期は未だ終わっていない、それがこの国の常識だ。

 

経済が悪くなるのを喜ぶ政治家はいない。だから経済の対立軸は、この政策が本当に効くのかどうかという技術的、学説的な議論に終始する。その域を出ることはありえない。

 

こうすればいい、という主張はどれも常に正しい。だが、本当にそうなるのかという事は難しい。そしてこれだけやっても実感が沸かないのである。はて、この経済改革は誰にとってもものであるか。壮大な社会実験をやって何十万人もの人を餓死させた例ならこの世界には幾つもある。

 

金が無限にあるなら、どのような政策だってうまくいくに決まっている。すると、限られたリソースをどう配分するかという話が経済政策の要諦になる。ここに100億円の予算がある、どの業界にどう分配するか。余程のバカでもない限り(それが効果的な場合もあるのだが)、ひとつの業種にどかんと投入などしないのが普通である。どの業界にも等しく分けようとする。よってどの業界を贔屓にするかが対立の本質である。

 

大きく見れば、土木などの社会インフラへの投入と、介護などの社会サービスのどちらを主にしようとする対立であった。そして話がより具体化してくれば、政治の理想論などどうでもよくなる。それぞれの人がより現実的な利益、より多く享受できる、という点を支持する理由にする。だから多数派とは分配される業界の大きさと比例するはずだし、そのまま経済規模と直結するはずである。そこに投入した方が効果は高くなるはずだ。

 

今回の選挙では消費税増税は全く問題にならなかったが、基本的に圧勝したら増税するのが基本中のキである。増税財務省の悲願(財政の健全化)であるから、政府としても実施する方向で検討するのではないか。

 

だから2019年に一度経済は冷え込むはずだ。だが、2020年のオリンピックとパッケージすることで、それは最低限に抑え込める。つまりまたとないベストな時期と見ている。これはその通りと思える。これ以外のタイミングはないだろう。

 

防衛政策の詳細な項目。

  1. 北朝鮮の核問題
  2. 中国との軍事的対立
  3. アメリカとの同盟
  4. 混乱期を迎えた世界情勢(テロ、独立問題など)

運良くも北朝鮮がここにきて活発な動きを見せたので、国防問題は注目を浴びている。これは日本がお金を出して北朝鮮を動かしたのではないかと勘繰るほどに良いタイミングである。

 

だが北朝鮮が核を潜水艦に搭載できるようになれば、もう軍事的オプションは取れない。だからそうなる前にやるなら叩く必要がある。いま一秒躊躇することは相手を利することになる。だが、その課題はふたつある。

  1. 核を使用させることなく如何に放棄する政権を樹立するか
  2. 地政学的に中国、ロシア、韓国のどこが後見人となるか

 

だが世界がどう動こうと日本の軍事的戦略が変わるはずがない。北がどう動こうが、中国がどう動こうが、ロシアがどう動こうが、日本はアメリカの援護を待つの一択しかない。それ以外の戦略も戦術もない、装備だってそれしかない。相手の行動に対して、幾つものオプションを持っているのではないのである。それが可能となるような装備は何一つ持っていないのだから。

 

これを変えたいという場合、当然だが安保はどうするのか、という課題がある。ロシアの経済規模は日本より遥かに小さい。そのロシアがあそこまでアメリカと対抗できるのならば日本に出来ないはずがない、という話がある。だが、それにどのような戦略があるのか。とても現実的とは呼べない願望であろう。ジェットエンジンひとつまともに作れないのに同盟破棄などありえない。もしアメリカと敵対したければ中国と同盟するしかない。

 

どっちみちアメリカとの同盟を続けるなら今のままでいいではないか、という話である。だが世界情勢の変化は、いつまでも専守防衛だけで済むのか、という問題を突き付けているのは間違いない。

 

よって憲法自衛隊を明記するだけでは何がうれしいのか分からない。もし、何らかの法的な欠陥があるのなら、改定は必要であろう。だが、今の憲法解釈は、自衛のための軍隊保有はその理念になんら抵触しているものではない。自衛隊は軍隊ではない、などという解釈はあり得ない。

 

だが自衛とは何だ、をきちんと定義するのは難しい。例えばの話。もしブラジルあたりから、地球をまっすぐに掘って日本まで届くドリルミサイルがあるとする。もしこれを打たれたら、途中で破壊することはできない。マントルを突き抜けて日本まで到達する。このとき、地球の反対側まで軍を出して、その発射基地を破壊するのは自衛であるか。恐らくこれは自衛のケースなのである。テクノロジーの発展は必要ならば冥王星であろうが、軍を進めなければ自衛が覚束ないという状況を生んだのである。20ノットで喜望峰を周回して来るような時代ではない。

 

いずれにしろ、この国に憲法をよく研究した人はおらず、恐らく今の国民が全員で取り組んでも伊藤博文ひとりの慧眼には太刀打ちできない。日本人は憲法改正と言いながら、憲法の事を何も知らない。なぜ憲法が必要なのかを実感として持っている人は皆無のはずである。

 

これは我々が不勉強なのではなく、アジアを起源とする政治体制に親しんできたから仕方のない話だ。我々の伝統はヨーロッパにはない。頭では西洋の新しい考え方を理解できても、体感として憲法の理念が身に沁みていないのだ。これは不可能に近いと言ってもよい。よって我々なりの理解するしかない。

 

例えば、中国の共産党を、僕は研究をした事はないが、彼らを研究したならば、そこにあるのはマルクス主義などよりも、ずっと昔から中国を支配してきた統治という考え方がベースになっていると思うのである。中国にとっては民主主義だろうが、共産主義だろうが借り物なのである。だがそれに近い思想なら紀元前500年くらいにはすでに見出していた地域なのだ。彼らは自身の独自性の中に、独特の政治思想に発展させていっているはずなのだ。そうでなければあれだけの人口をかかえ、十分なパフォーマンスが発揮できるはずがない。毛沢東マルクスに近い人ではないと思う。始皇帝に近い人ではないか。

 

アジアの政治思想が決して劣っているのではない。アジアの国々ではアジアの統治思想を疎かにした憲法議論には意味がないだろう。そうしないと中学生の駄文みたいな作文が死ぬほと出てくるはずだ。

 

誰に保守とリベラルの違いを説明できるであろうか。この国では政策はどうひっくり返しても似たようなものになるはずである。その違いは、少しである。

 

対立するふたつの勢力がある時、それぞれがバッググランドとする経済体制を見ればだいたいの事は分かるであろう。

 

そういう意味では保守とは自民党の事であり、そのバックグランドは第一次産業であった。一方のリベラルとは第二次産業の労働者がバックグラウンドであった。これが戦後から始まる基本的な対立構造であったと思われる。それは地方と都市の対立と言ってもよい。

 

そのころ、第三次産業はまだ小さな存在であった。近年ITの登場が新しい経済勢力を生み出したように見えるが、これはあらゆる産業に導入されたので対立軸にはなっていない。

 

2000年に小泉改革で新しい対立軸が生まれる。それが経営陣と労働者の対立である。これが保守とリベラルの構造にそのまま取り込まれた。保守=経営者、リベラル=労働者という構造に対立軸がそのままシフトする。これは枝野幸男の発言であるトップダウンボトムアップの対立という構図とも、よく一致する。

 

この対立は今世紀に始まったものではない。18世紀に一度やっている。産業革命が貴族階級を破滅させたのも同じ構造であった。貴族=第一次産業(農業)、都市=第二次産業(工業)の対立である。これが帝国主義(農業)、資本主義(工業)の対立として第二次世界大戦まで続いた。

 

今の日本の経済の中心は工業にある。だが世界的な中心は情報化産業にシフトしようとしているはずである。第三の波(トフラー)はそう予言したが、それへの対応にこそ危機感を持つべきだ。

 

政治が対立の構図を間違えれば国ごと没落する。産業の中心を工業におくなら、世界経済から置いてきぼりを食うのではないか。実際、多くの工業系の企業がいまどん欲にIT、AIに取り組んでいる。世界の中心を占めたければ、世界経済の主流になるしかない。そして今の世界経済を語る上で押さておくべきことは何か?

 

その答えは中国にあるかも知れない。いやアメリカにあるのかも知れない。EU?ロシア?いずれの国も世界における自分たちの国の在り方についてコミットメントしようとしている。我々はこう思う、だからこう行動する、と世界に向けて発信し続けている。

 

経済を支えるものはその国の文化であり、伝統である。その一番下の根っこには必ず理念というものがある。そうでなければどうして人間の社会が成立するだろうか。民主主義だろうが自由主義だろうが、社会主義だろうが共産主義だろうが、帝国主義でさえ理念を持っていたのである。それがヨーロッパの考え方だ。

 

ではアジアはどうか。もちろんアジアにもアジアの理念がある。ただ残念ながら、それはちょっと古すぎるかも知れない。古いというのは産業革命の洗礼を受けていない、という意味だ。

 

中国は日本と違って大きな敗戦を経験していない。阿片戦争日清戦争の敗北は、日本が食らった太平洋戦争の敗北とはちょっと違う。あれらは既に歴史になっているが、こっちの敗北はまだ歴史になっていない。なぜなら、自分たち自身で今度やったら決して負けない、という自信を持てていないからだ。

 

どうすれば負けないか、の筋道さえ分かっていない。バカだけが次は勝てると根拠のない自信を持っているだけである。そういう連中は決まって仮想戦記の読みすぎと来てる。

 

そういう課題を国としてまだ持っている事の方が憲法改正よりもずっと重要であって、だが、そういう課題を蔑ろにして今は急ぎ過ぎているように思われる。

 

いずれにしろ、どこもかしこも自民の勝利だ。希望が自民に合流するのなど分かり切っているから、立憲民主党は、350対50議席の戦いである。これがどれくらい無茶な話かと言えば、関ケ原の合戦で徳川家康だけの軍勢で残りすべてを相手にするようなものだ。東軍10万、西軍10万のうち徳川家康の軍勢が3万である。どう考えても勝ち目がない。民主主義以外では。

 

雌雄は決した。北海道と東京以外は自民党ばかりである。そう見えるのは小選挙区がめりはりをつける制度だったからに過ぎない。それでも前原誠司が居なければ、野党が更に大敗していたのは間違いなく、ここまで面白い選挙にした功績を忘れてはならないだろう。単なる読み違いだとは思うけど。

 

自民党は強い。だがこの強さは出入り計算なので思っているほどその差は大きくない。200の差をひっくり返すのに200を取り返す必要はない。100を取り返せば相手から100が引かれる算法だからである。例えば今が350:50であっても、150を取ればよい。そうしたら200:200である。この圧倒的な差の半分である。ひとつ削れば出入り計算で2つ動く。