フジテレビの看板番組「おかげでした」と「めちゃイケ」が来年終了と報道

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不思議なもので出会いの時期というものがある。その時期を逃せば全く違う印象を受けてしまうのだ。

 

特に出会った時の年齢や精神状態はとても重要なファクターだ。年寄には面白味のない番組でも、若い人には楽しくてしょうがないなんてのは当然だ。

 

同じく、昔はあれだけ面白いと思っていたものが、だんだんと詰まらなくなってゆくものがある。同じものをずうっと好きでいられるのはとても幸福なことだろう。そうであるためには、何かが必要と思われる。最近では漫画を読むさえ面倒と思うようになってきた。では何が面白くなってきたのか。もちろん別の何かが登場したのである。

 

めちゃイケは抜き打ちテストがとても面白かった。これがバカキャラの嚆矢だったのではないか。しかし今や右を向いても左を向いてもそういう状況にあって、滝沢カレンに至っては、逆にそこに深い意味を見つける事さえできるのである。想像の右上を行くのが番組の宿命ならば、既にめちゃイケは過去の天才になってしまった。

 

岡村隆史が復帰した頃にはほとんど見なくなっていた。旅猿は楽しく見ているし、おもしろ荘は毎年楽しみにしているので、完全にその番組への興味を失ったと言える。

 

勿論これは完全に個人的な体験であって、他の人が面白いとか大好きという人がいても当たり前である。そういう人にとって残念な話に違いない。Major Crimes が Season 6 で終わって残念至極と思っているが、世間はそう思っていないのと同じだ。

  

「おかげでした」も見ていない。たまに録画することもあるが、ほとんど面白いとは思わない。とんねるずで絶対欠かせないのはスポーツ王であって、それ以外なら深夜でやって欲しい。深夜なら今よりもずっと本音に近い言葉が聞けそうだからだ。

 

とんねるずというタレントはその根底に体育会系というのがあって、下には思いっきり強く出るのに、先輩にはぺこぺこするという身代わりの早さが面白さと思う。保毛尾田保毛男も、番組はたけしへのありがとうが主題であって、仮装して街を歩くのに一番派手でメジャーなのを持ち出ただけだろう。

 

テレビが自己規制や様々な批判を受けて、それが作品作りに影響しているのは間違いない。そのような制約の中でもスタッフは一生懸命、番組を作り届けようとするのだが、如何せん。クリームの絞り袋の口が変わっているので、思ったような形にできないのだ。

 

批判という点ではテレビ朝日のロンハーなどなども同様かも知れないが、毒舌といわれる有吉やずばり言う系のマツコらが現在のテレビでは重宝されている。彼らのスタイルはテレビの制限を熟知した上で、ぎりぎりの所を狙おうするものだ。その巧みさに視聴者は見入る。

 

つまり現在のテレビ番組にも送り側と受け手側の間にはお約束がある。その約束事を教養と呼ぶ。かつての古典はパロディからオマージュ、剽窃までなんでもありだった。だから元ネタを知らなければ作品を楽しむには不十分だったのである。それは自然と多くの作品を知っている事であり、また風習や言い伝えを知っている事であり、つまり古典を楽しむには教養が必要という事になる。

 

著作権とは今では過去との断絶の意味だから作品を楽しむのに教養を必要としないように発展することになる。そういった中でとんねるずは業界のお約束という教養を視聴者に求めた。そこが斬新だったのである。

 

自然とテレビには暗黙の約束があり、そして不文律の約束事に対して、ぎりぎりの攻防戦をする所が面白いのだ。予定調和しかないのであれば面白味はない。いつからテレビのゴールデンが最も安牌な番組という意味に変わったのか。

 

頭の良い、自分で境界線をコントロールしようとする手腕を持つ人が現在のテレビでは頼りにされている。一方で、こういう表現がしたい、というのがあっても制約で断念する人はライブに活路を見い出したりする。そのうちネットTVの方が自由と分かれば、そちらになだれ込むだろう。残りの問題は視聴者の数だけである。

 

テレビの強みはアクセスの簡易さであって、それ以外の媒体が、テレビと比べると、アクセス性は悪い。そのハードルの高さをどうクリアするのか、これが端境期の問題と言えよう。

 

いずれにしろ、フジテレビの大改編なんて、毎度毎度、過去の番組を終わらせるが、その後に碌なのがなく、同じ状況の繰り返しである。どうせまた同じ結果になるだろう。既にフジテレビの自己再生能力は失われているように思われる。

 

もともとタレントの個性を最大限に生かそうとするのがフジの手法だったのに、そこに自ら制約を課し、タレントではないもので勝負しようとしているように見える。それで番組が面白くなるとも思えない。それが必要な転換とも思えない。

 

日和見NHK、自由のEテレ、企画の日テレ、クイズのTBS、行動力のテレ朝、隙間のテレ東、タレントのフジと標語すれば分かりやすいだろうか。