河野外相、ロヒンギャキャンプ視察 「国際支援が必要」

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この問題は、海外のニュースでは結構やっているが、日本のニュースではあまりお目にかからない。ま、ニュースをあまり見てないからなんだけど。

 

この事件の海外での評価は、ジェノサイドであって、久しぶりの民族浄化である。どれくらい久しぶりかといえば、ハンターハンターのアント編以来であろうか。

 

このアジアの民族弾圧について、一番注目されているのがアウンサンスーチーで、ノーベル平和賞を受賞した人が、まさか浄化側に回るのか、という懸念が各国にはあるようだ。

 

だが、ミャンマーにはミャンマーの都合がある。ロヒンギャに関する限り、ビルマでは存在しないはずのものが何故かここに居る、という態度である。それは民族差別というような生易しいものではない。

 

この歴史を紐解けば、ロヒンギャの問題にはいつもの通りイギリスが関係する。20世紀の全ての問題に、すべて顔を出していると言っても過言ではないイギリス、19~20世紀は如何に巨大国家であったかを思うと、知恵は無理でも、もう少し金を出せと思わないでもない。

 

だがこの問題に関してはイギリスだけが登場人物ではないのである。日本も重要な役割を果たしている。

 

この問題は日本がアジア進出したときの遺産である。ロヒンギャとアラカンの対立は、イギリスと日本の代理戦争であった。それは現在まで続いている。この絡み合った糸を当事者たちだけ解くのは難しい。

 

現在のミャンマーロヒンギャの国籍を認めないどころか、帰化さえも拒絶しているという。どれだけ深く遠い溝か。

 

ミャンマー民主化すれば、自分たちも受け入れてもらえると淡い期待をしていた人々も、まさか民主化によって更に厳しく難民化するとまでは考えていなかったであろう。だが、民主化が世論の意見を無視できない政治体制である以上、つまり多くのミャンマー人が拒否すれば、どれだけの聖人君子であろうと受け入れる選択肢は採択できない。もしこれが絶対君主制であったならば…

 

彼女の本心がどうであれ、アウンサンスーチー氏の悩みもそこに極まる。それを変えたければ、長く広く地道に教育するしか手段はなく、時間的猶予はそれを許すまい。

 

仏教徒だから寛容というのは幻想である。ただ通り過ぎる時の挨拶が穏やかなだけなのだ。

 

民族単位で無国籍の人たちにクルド人、ロマ人がいる。ベドウィンは広く受け入れられた無国籍らしい。

 

スペインでさえカタルーニャ独立運動が激しくなった。ユーナイテッドキングダムのスコットランドさえ独立投票を実施しているのである。21世紀にこれだけ独立の言葉を聞くとは思わなかった。古い世代にとって21世紀とは地球連邦が実現する時代のはずだった。実際はその逆である。国家は分裂している。

 

何がこの流れを加速しているのか、情報速度の圧倒的伝播力がその背景にあるのか。経済体制が変わりつつあるからそれが可能になりつつあるのか。国家が巨大であることが有利という話はなくなってきたのだろうか。

 

日本から東京だけが独立したいという機運は今のところない。だが、日本でも裕福な地方自治体は、平成の大合併の時も独立を志向した。理由は簡単で近代国家が利潤の分配装置である以上、分母を増やせば配当が減るのが自明だからだ。

 

この国にも無国籍者はいる。日本人の親から生まれたにも係わらず、出生届けを出さなければ簡単に無国籍者である。また日本国内にいる難民は出生届を出しても無国籍者になる。生まれてずっと日本にいながら、送致される話が時々新聞の記事になる。

 

いずれにしろ、今の問題は何十万という難民に対する目前の危機であり、この問題をどう解決するかは誰にも分らない。仏教徒イスラム教はもしかしたら相性が悪いのかもしれない。なぜそうなのか。

 

だが、この問題が顕著化したのは、イギリスの産業革命以降であって、それ以前は多くの宗教が共存できていた。宗教的対立という観点で見る限り、今の我々はオスマン帝国ムガル帝国にも劣っている。なぜなのか。

 

我々を構成する価値観の何かが、それに対して負の圧力となっているのではないか。それを解析し、紐解き、新しい結び方を見出すのはそう簡単ではない。

 

日本の外務大臣がこの地域を訪問したのは良い事だ。外務官僚の中に問題意識を持って進言した人がいたのか、それともこの人が強く要望したから実現したのかは知らない。行っても金以外なんの役にも立たないとは思うが、金が投入できることが一番重要だ。それだけが更に悪化する状況を食い止める唯一の緊急対応と思うのである。

 

河野太郎を少し見直した。