平等院が元の名を宇治殿と呼ぶ。その主であった藤原道長に最近は興味ある。彼の日記の講義を聞けば、如何に面倒くさがりでいいかげんな人だったかが分かる。だけど、それが愛嬌となっており、実にお茶目な感じの人という印象だ。
伊周とは暗殺を企てられるほどの諍いをしつつも、どうも飄々として受け流すような家事があるし、激情したとしてもさらっと流すような人物像を当て嵌めたくなる。
実資との関係も、ぎくしゃくしたものというより、実資が気難しいのを知りつつ、それでもチョッカイを出している感じがするし、それで居ながら両者ともに存在を認めている風がある。
この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば
俺の権力はまんまるお月様のごとき、何ひとつ欠けておらぬであろう、と豪語するかのような不遜な歌にも聞こえるが、これが酒宴の席での座の余興、酔った勢いでの話となれば、みなを笑かしてやろうという気持ちがあったのだと解釈する方が楽しい。
そのような戯言にも真面目に拒絶する態度を見せる実資も実に愛らしいし、その彼がこの歌を書き残さなければ、後世まで伝わることもなかった話も面白い。実は彼も日記を書きながら笑ってはいたのではなかろうか。
また道長と女流作家の庇護者であって、さて道長は枕草子を読んだのだろうか。読んでいないはずもないと思うのである。
平安きっての才女、いけてる女の代表格、今ならバブル期にワンレンボディコンでぶいぶい言わせた系の清少納言と、ゆとり世代代表、根暗なはずなのに気が付けば才覚をめきめきと出し、いつの間にか当代随一最強小説家の紫式部、彼女らが生きていた時代である。
貴族政治の絶頂に時代を謳歌しつつも、平安朝に陰りの見え始めた時代とそれを支えた人たちの物語。
この先、藤原氏の影響が弱まるのに比例して、天皇たちの院政が強まり、その先に源平の武家社会が到来する。
源氏は、源朝臣、もともと皇族であったが身分が低いなどの理由から臣下の降りた人々である。平家も同様の朝臣である。
こののち、次第に騒乱が起き始め、その荒れた治世を纏め、新しい社会を切り開くまで200年。そういう時代の人である。