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訴訟:ワンセグでも受信料義務 NHK側勝訴 東京地裁

mainichi.jp

 

憲法で裁判官には自由が与えられている。だが自由が与えられているからといって、それで司法が劣化しないわけではない。鈴木正紀などという人間の存在は司法の消滅を如実に表すひとつの傍証と言えるであろう。

 

NHKが視聴料をとれる根拠は放送の公共性にある。国家であれ、民間であれ、それらは自分の主張を通す自由がある。ある特定の立場から独立するためには、資本の独立が必要である。それが根拠である以上、NHKには公共性が求められる。

 

では公共性とは何か?娯楽を提供することか。そんなのはローマ時代に終わった話であろう。公共性とは何も関係がない。では新しい技術を開発することか。そんなことは学問の場でやればよい。

 

8Kを開発したければ大学に投資するのが筋であって、それが活用されるようになれば、民間企業も参入するであろう。公共性のある放送局はそれから活用しても遅くないはずである。なぜなら最新技術は公共性を支える絶対欠かすべからざる要素ではないからである。

 

もしそれでは産業が育たないというなら、軍用として開発すべきである。その技術に公共性はないし、NHKは公共性の名のもとに軍用技術の開発を肩代わりする必要はない。

 

公共性とは何か。ひとつには政府からの独立である。権力の監視役としての役目を果たすために必要な資金を税金によって支えられるべきではない。そのために視聴料が提案された。

 

よって、目的以外の用途に視聴料を使用することは、盗用であり詐欺である。それは着服なのである。そのような行為をする組織を許すべきではないし、その時点で、その組織に公共性を担うことは不可能である。どうしても続けたければ国営でやれば十分なのである。国営でも立派な放送局は幾らでもある。

 

NHKの総合テレビジョンは、主としてニュースや国会中継を流すための部門である。E-テレは教育を目的としている。教育のどこに公共性があるか?微妙だと思う。放送大学に公共性があるか、という話もある。これらを支える根拠となる法律が放送法はである。

 

NHKは主張する。「いつでも、どこでも、誰にでも、確かな情報や豊かな文化を分け隔てなく伝える」ことを目的としていると。

 

ならばワンセグでも、どこでも受信できなければならない。いつでも受信できなければならない。山奥であろうが、大災害が起きようが受信できなければならない。もしそれができないならば契約不履行である。賠償金を請求すべきだし、詐欺として訴えてもよいはずである。なんせ彼らの主張の根拠なんだから。

 

当然、海外でも受信できるようにする義務がある。徴収した以上、彼らはその責任は血を吐こうが死屍累々となろうが叶えてももらわなければ叶わない。これを努力目標程度に考えてもらっては困るのである。

 

しかしそれでも紅白歌合戦のどこに公共性があるのだろうか、あれは文化であるという主張には無理がある。あれは単なる娯楽である。娯楽の中にも文化があるが、文化があれば公共性があるとどうしても主張したければ、まずはエロティシズムから話しあおう。NHKは何をかってにボカシを入れてるんだという話である。

 

なぜ歌手が歌うのが公共性なのか。楽しいからいいじゃない、という意見は公共性とは関係あるまい。楽しいの定義はそう簡単には決まらない。全ての国民を満たす定義など不可能である。その上であったとしても楽しいにどのような公共性があるのか。

 

NHKの公共性に我々の文化の担い手の役割など求めていない。そんなものに視聴料で支える必要などさらさらない。それどころか、NHKが視聴料を元手にしてどのようなビジネスを展開しているか。それをどのような分野に幅広く投資し、その利益を使って、何を行っているか。どれだけの給料を払っているかを再確認すべきだ。

 

そのどれもが公共性を保つための必須ではない。必要でないものに視聴料を流用する者たちに公共性が保てるはずもない。私利私欲で活動している者が公共性を盾に活動するのをこれ以上ゆるすべきではない。それを支える司法は無能ゆえに許容すべきではない。

 

NHKは民間にするか、国営でやるべきなのである。一部の人しか視聴できないBS放送の番組を地上波で案内する公共性の根拠とは何か。