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ひと味違う“オトナ”真野恵里菜に絶賛

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真野恵里菜まのえりは、ハロプロから誕生したアイドル、歌手、から俳優業へ転身、実写版機動警察パトレイバーで泉野明を演じた事で知られるサッカーの柴崎岳選手と婚約中と wikipedia に書いてある、よい演技もするが、世界観を生み出すほどの迫力は感じられない女優である。

 

もちろん、よい俳優とは演技の上手さやキャラクターの演じ分けによって決まるものではない。突き詰めるならば、世界観の創造にある。ドラマや映画の世界観を決定的にするのが俳優の仕事なのである。

 

もちろん、俳優の圧倒的な存在感の前では、常に同じ演技だとかステレオタイプの役しか出来ないなど、些細な話である。製作者からすれば、もちろん、どうでもいい話なのである。もちろん、木村拓哉は何を演じても木村拓哉である、という意見には同意するが、彼が他の人と違って上手い俳優であることに変わりはない。

 

もちろん、彼が見せるちょっとした仕草の中にも、人物像をそこに込めようとする彼の意図が見つかる。または、そう見える。それがもちろん木村拓哉の非常なクレバーさであって、彼の演技に付き合うとは、もちろん、このクレバーさを楽しむのと同義である。

 

もちろん、非常に優れたシナリオとの出会いが少ないことは彼の悲劇であるが、それは木村拓哉ひとりの悲劇ではなく、邦画を活躍の場にする全ての俳優の悲劇である。もちろん、英語が話せて海外に行けば活躍の場があるとかそんな話ではない。アメリカ大陸を覆う白色人種以外への差別意識が根強いので、もちろん日本人がアメリカのドラマで主役を張るのは難しい。

 

もちろん、欧米には日本文化を白人がパロディするのさえ差別とする認識がある。『文化の盗用cultural appropriation』と呼ばれるもので、なぜ彼らがこうも自分たちの差別意識を輸出したがるのかは理解に苦しむ。もちろん、この概念も当初は、他文化への侮蔑から始まっており、それに対して白人が他の文化圏の人たちの機会を奪い経済的損失を与えているのではないかという懸念になった。もちろん、その根底にあるのは彼らの優越感である。

 

もちろん、『文化の盗用』を理解する限り、要は外来生物の駆除と同じ構造である。人間の都合で外来生物は持ち込まれてきた、それが現在の自然環境を大きく変える可能性がある、だから駆除することで、従前の環境を保全しようという行動原理が生まれた。

 

もちろん、生物は太古から居住環境を拡張してきた。もちろん、それが進化を促した。もちろん、いまの外来生物も一万年も経てば独自の進化をするに違いない。なのに、なぜ人間の時間に、他の生命の進化まで当て嵌めようとするのか。

 

もちろん、その根底に人間の存在がある。もちろん、在来種にとっての最大の脅威は人間の環境破壊である。もちろん、外来種はこれと比べると僅かな脅威なのである。もちろん、彼らは外来種がいても困りはしない、ただ必要なだけ混雑して新しい種になってゆくのであろう(これを遺伝子汚染と呼ぶ)。もちろん、不幸にして絶滅する種もいるだろう。進化と絶滅は表裏一体の同じ現象だからである。

 

もちろん、人間の自然破壊によって絶滅するのは駄目だが、自然現象ならば良い、という考えはある。もちろん、地球の酸素濃度もオゾン層も生物によるテラフォーミングで生まれたものである。なぜ人間の自然環境だけが特別視されるのか。もちろん、規模が大きすぎ、時間が短すぎるからである。もちろん、人間の自然破壊は警戒しなければならないからだ。我々が自滅する可能性がそこにはある。ガンマ線バーストで絶滅するならまだしも、自分たちの愚かさで絶滅するのは恐らくサルとしての自尊心が許さないのである。

 

なぜ先進国は外来種を駆除するのか。もちろん、環境破壊は不可避だからである。もちろん、意識的であれ、無意識的であれ、それをわれわれ人類は自覚している。だから、せめて環境保全を目指そうとする人がいる。外来種駆除を正義と理解する人がいる。もちろん、そういう考えの人でもエコロジーテロリストまで過激にはならない。

 

もちろん、野生や天然と自然は違う、そういう考えで納得する人もいる。いずれにしろ、これらの問題の底で矛盾が渦巻いているのは間違いない。これをうまく言語化することはできないが、多くの人が理解できる言語化が待たれる。

 

もちろん、彼らは自分たちが抱える差別意識にはとても敏感である。そして、夢にも思わないであろうが、自分たちが差別される側に立つという意識は皆無だ。もちろん、歴史上には何回かはあったはずなのだが、ここ最近の話ではない。ここに白人の傲慢がある。それは、歴史的勝利者という意識と密接である。もちろん、産業革命という勝利によって得られた地位を手放す気はあるまい。それが多くの人のアイデンティティを支えている。

 

差別と区別の間に論理的差異はない。だから差別は悪いが、区別は当然であるという主張には必ず矛盾が潜む。ふたつの間に線を引くのは不可能だ。それを強引に推し進めれば、もちろん、アフリカ大陸に適当な国境線を引いた後始末が今も続いているのと同じ結末を迎える。

 

この問題は、だが、些細な話なのである。もちろん、僕は彼女のファンである。もちろん、熱心なファンではないが、ずっと注目してきた。だが、そういう話はどうてもいいのである。もちろん、重要なことは出すか出さないかである。もちろん、アイドルではなく女優としてである。脱いだりエロティシズムを魅せる仕事が、女優の価値を高めるという我が国の映画産業の愚劣な無能で将来性のない価値観に晒されている限り、もちろん、そうなるに決まっているのである。この写真集はその理想郷に近づく第一歩である。

 

もちろん、彼女の本当の魅力は別な所にある。彼女はいい女優になるだろう、なぜなら、とても真面目な人だから。