土俵に大量の塩まく 女性らが倒れた市長救命後 舞鶴

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基本的には相撲は見ないし、国技から外しても構わないし、衰退しても構わない。というくらいに相撲には興味がない。

 

だからといって相撲好きな人を非難する気はないし、昔からの伝統を持つことも知っている。例えば歌舞伎が女性を始祖とするくせに、いまや男子専用になっていても、バカな劇団員だとは思うが、別に江戸時代に禁止されたのを健気に守るからと言って批判する気はない。伝統芸能とはそういうものである。様式美に関する定義は様々であろうが、伝統という定義を用いる人を批評する資格は僕にはない。

 

だから土俵が女人禁制という話も当然知っているし、その理由を聞くほど野暮ではない。土俵の下には日本を支える神様みたいなのがいて、この神様が男好きの女嫌いなので(またはシャイ)女性が近くにくると去ってしまう。すると地殻の支えを失った日本列島は沈没してしまうのだ、という設定を頑固に死守していても別にいいのである。

 

だから女性は早く降りてくださいと放送したとしても、その気持ちは分かるし、状況が命の問題であれば、後から謝罪すれば十分であろう。力づくで下してその結果市長が死亡したなら殺人幇助で責任者、実行者を起訴すればよい。

 

それよりも、人命のために頑張ったこの人を支持する人たちの相撲協会への攻撃性とか排除性の方が気になる。もちろん、この人を非難するなど言語道断である。この救命士はさっと土俵に上がり、命を救い、ひと段落ついた所で人に受け渡して降りて行った。これをカッコいいと言う。

 

また前述のような設定があるから事後に塩で清めるというのも理解する。いちいち、塩(NaCl)がどういう化学的な電子の働きで清めるという現象を起こすのかなどと説明は求めない。

 

いずれにしろ、伝統であるという理由だけで現実からナンセンスなものを排除するのには反対である。伝統に意味などないからといって啓蒙しようなど大きなお世話様なのである。それは啓蒙ではない。なんでも知っているという驕りである。現代科学は、人類史上、最も最先端を行くものであるが、当然ながら百年後から見ればなんとも古臭い古典的な科学のはずである。人類が停滞しなければ…

 

というわけで現代科学で説明できない、当然、百年年後の科学でも説明できないとしても、それが排除したり止める理由にはならない。今の価値観から見れば、差別であったり階級の名残もみられるものはたくさんある。

 

伝統との調和ということは考えるべき課題ではある。新造国家ならば、いっそ全てを排除することも可能だ。現代の先進国の停滞が、主に古い方法から脱却できないと言われる所以である。

 

だが、脱却ではなく調和のほうが良いに違いない。捨てるよりも内包したままの方がいいに決まっている。血統に権威を持たせるなど時代錯誤も甚だしい。だが王を頂く国家が今も穏健で統治機構に重要な役割を担っているのは間違いない。

 

我々はその方法を誰も知らないだけだ。それは壊していい理由にならない。