「2人に申し訳ない…」西部邁さん長女、にじむ後悔

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自殺に対する結論はどの国でも出ていない。だが、人間の尊厳と深く係る話である以上、無下にできないひとつであろう。

 

ホスピスで週末を迎えられる人はまだ幸いだ。モルヒネさえ効かない人もいると聞くし、次第に記憶を失ってゆく自分と対峙する人もいる。その時の選択として頭をよぎるのは当然である。人に唯一残る自由が死しかないとすれば、それを取り上げるのが本当に人道なのかという議論はある。

 

もちろん、その人と深く関わっていれば、例え法を犯すと解っていても、その人の意思を尊重したい、寄り添いたいと考えるのも自然である。

 

ここにあるのは人間の尊厳と生命のせめぎ合いだ。日本は特に命を粗末にする傾向の高い民族であって(死後の世界を信じてるくさい)、無意味に死ぬのも忌避してこなかった歴史がある。もちろん、警察がそう簡単に引き下がるはずもない。自殺と殺人の見分けがお前らそう簡単につくと思っているのか、という業務上の要請である。

 

自殺幇助が仮に尊厳死介錯だったとして、そいつが殺意を持っていないとなぜ言える。親友の振りをして殺すやつなんてごまんといるんだぞという話である。

 

だから、このニュースを読んだ時に真っ先に思ったのが赤穂浪士であった。この江戸時代の前期に起きた事件は、その後の幕府の在り方、武士の在り方を決定づけるものであって、小林秀雄によれば、これは単なる刃傷沙汰ではないという事である。

 

闇討ちの形をとっていながら、ここにあるのは、主君という価値観と武士という新しい価値観の間で起きた強烈な思想の矛盾だったのである。そうでなくて、どうしてこれだけ長く多くの人の心を打つものかと語っている。

 

戦国時代は下克上も認められる世界であった。江戸幕府が開いたとき、太平の時代が開く。それまでの戦闘集団であった「武士もののふ」が、官僚である「武士ぶし」に置き換わる。この変換期において、様々な価値観が置換されていった。それまで許されていた事が許されなくなる。それまで気にしなかった事を気にしなければならなくなる。それまで考えもしんかった事を考えなければならなくなる。

 

小さな事なら、それぞれの人が独自に処してゆけばよい。しかし、大儀になればその対立は大きな矛盾となって出現する。君主に仕える武士の価値観を遵守するならば主君が辱めを受ければ仇討をするのは当然ではないか。もしこれに否を突き付けるならば、それはもう武士とは呼べぬ。

 

太平の世界で武士はこの世界を維持する立場にある。そのための武力である。その武士が、自ら騒乱を起こすとはどういうことだ。主君の仇という名目で幕府に反逆する者が出現したらどうするのか。再びこの国を戦乱の世に戻すつもりか。

 

忠義と太平。どちらも公であるはずだ。だが、ふたつの公が対立したときどちらを優先すればよいのか。

 

この処し方ひとつで幕府は瓦解する。そういう思想史な事件だったのである。どちらかが正しいなどありえない。どちらを重視しても武士の存在を否定する。江戸時代は儒教に戻づいていたが、問題の根底に公と私の問題があったのである。

 

果たして討ち入りは私ではないか、それとも公か。私事なら罪人である。だが、これが天道に則るものならば罪には問えない。だが、その場合は、太平を乱したという罪はどうなるのだ。公と公が対立すればどう処せばよいのか。

 

だから、荻生徂徠は、これを私事とした。事件は単なる私事である。決して見過ごせるものではない。恐らく公としたらどうしようもないことが分かっていたのである。だから、その処罰は公とした。諸君らは私闘により罰する。だが、諸君らは立派な武士である。幕府はそのように君らを遇すると。

 

なんたるペテン。だが、これに粛々と処したのがまた偉いというべきで、彼らは逃げも隠れもしなかった。彼らは、自分たちの信じる道を天に託して行き、その帰り道は幕府に預けた。これを達せられないなら武士ではいられない。だが達しても武士としてのその後はない。それをよく知っていた。

 

幕府は恐らく正しく処置したと思われる。でなければ、幕末まで様々な儒者が論じたはずがない。徳川幕府は維新で倒れる。だが幕府が最後まで公よりも私を優先したという話はない。

 

そんな過去があって、今がある。

「父の自殺したいという気持ちを変えることができなかった。お二人が自殺を手助けしたというのなら、娘として父を止められなかった私も同罪です」