みやぞん「自分の機嫌は自分で取る。人に取ってもらおうとしない」が反響呼ぶ

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「幸せだな。もっと上りたいな。まだまだ登れる幸せ。自分の機嫌は自分で取って、人に取ってもらおうとしない!ツイてるぞ!幸せだな!」

 

これは見た。面白かった。最後の試練として用意した 6000 段の階段をみやぞんは軽々と登っていくのにスタッフが先に脱落した流れは面白かった。

 

みやぞんは他の番組でも見るがイッテQが一番面白い。ANZEN漫才も見たが、残念ながらあらぽんではみやぞんの面白さは伝わりにくい。あらぽんの腕がものを言う所だが、あらぽんが一流の芸人ではないとしても、それは絶望するような悲観ではない。

 

他の番組だってみやぞんを面白くしているものは皆無だ。別の言い方をすれば、ただイッテQだけがみやぞんの使い方を知っている。他の言い方をするなら、彼らだけがみやぞんの新しい使い方を発明したわけだ。

 

みやぞんは編集によって面白くなる人と思われる。同じパターンでは、ナスDもそうだろう。一緒にいても面白いか、破天荒な人って実際に一緒にいたら殺意が湧くに決まっているのである。それを最後まで面白く見せるのは、編集の力だ。一緒について回ったスタッフの喜怒哀楽なんざばっさりと切り捨てるだけの度量がいると思うのである。

 

テレビ番組にも色々な作り方、見せ方がある。映像を集めてどう編集するかで、赤色にも黄色にもなる。面白くも憎くも悲しくもなる。イッテQの良い所は笑いだけではない所だろう。そこには、もう編集する人の人間性が全部が詰め込まれている。編集者の本音が隠し味になっている番組はだいたい面白い。

 

逆に、タレントも編集によって生きてくる人もいれば、本人の言動が面白い人、ライブで生きる人、視点の特異さとか、世間とのずれ具合が面白い人と様々だ。持久力でじわじわ来る人もいれば、瞬発力や反発力が面白い人も、周囲によって生かされる人もいれば、周囲を生かすことしかできない人もいる。うるさい方が合う人、静かにほおっておくほうが面白くなる人。

 

スピードワゴンなんて好きでも面白いともなんとも思わないけど、短歌de胸キュンは最高傑作だ。小沢と井戸田の個性がピタッとはまっている、小島も捨てがたい。

 

どのような番組であっても、そのタレントの人間的な優しさやライトサイドが重要で、そこにダークサイドも含めた人間性の深みみたいなものも見つかって、要は、この人は信頼に足る人であるか、という話になる。それを毎日のテレビで鍛錬しているようなものだ。

 

バラエティとは人間を見抜く眼力を養う場である、と考えれば、成程しっくりくる。野球というスポーツは何が面白いのかと思う人は思うのだけれど、野球が好きな多くの人は野球を見ることで知らず知らずのうちに、勝者と敗者の法則に触れているのである。野球中継を通して勝負勘を鍛錬しているといえばよいであろうか。

 

思うに、このように日常のテレビの中にさえ丁寧に見てゆくと、修行場がある、道場の中で自分の能力を鍛錬する場として活用している。これは極めて日本的だと思うが、他国の事情は知らないのでなんとも言えない。

 

テレビの番組の中にさえ「道」が見つかる。自分を鍛える日々がある。たしか仏教には、鍬で畑を耕すのも修行、人にお金を貸すのも修行、日々の中に修行があるという話がある。小室直樹はそれが日本の資本主義の萌芽となったと書いていた。西洋の資本主義がカルヴァン主義から生まれたように。

 

ほんの些細な中にもこの国の全力が込められているものであるかな。