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書き溜めの集積場

自民・加藤氏、「子は3人以上」発言を謝罪

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こういう人が存在することには価値がある。人間がどこまで程度が低くなれるかを教えてくれるから。もちろん、人数を増やすには生むしかない。そんな事は、この程度の人に言われなくとも、古事記にきちんと書いてある。

 

うつくしき吾がナセのミコト、カクしたまわくは、ミマシの国のヒトクサ、ひとひ日二千かしらをクビリ殺さな」と申したまいき。ここにイザナギのミコトのノリたまわく、「うつくしき吾がナニモのミコト、ミマシしかシたまわば、吾れはヤひとひ日二千五百産ぶやたててな」とノリたまいき 『古事記傳』6−1

 

だが、政治家の仕事は国民にお願いする事ではない。そんな能無しの仕事なら中学生で十分である。特定の目的を持って制度を整える、そのために法律を制定する。法律が成立すれば、それが制度化される。官僚の仕事である。

 

だが、一方で法律は極めて専門性の高いものである。官僚であれ、裁判官であれ、弁護士であれ、法律への深い理解が不可欠だ。それは法律を読んだ事がある程度の理解では足りない。過去の判例に沿った整合性が求められるのである。

 

そんな中で政治家だけが法律の素人である。ここに民主主義の知恵がある。政治家に理解できなような法律制度でなければ、国民は理解できない。だから、政治家が最後にして最高の審判役としたのである。これが立法を最高位に置く民主主義の基本戦略だ。

 

政治家は素人である。だから、毒蛇の穴にも平気で手を突っ込む事もしでかす。これを警戒したのは明治の元勲たちであったが、現在、この状況に対抗しうるのは、選挙だけである。よって、地獄への道に向かおうとする時、選挙結果がそれを支持したならば、もう引き返す事はできない。その結果について誰も知らない。

 

政治は結果責任である、という言葉は嘘だ。民主主義では結果を誰かの責任に帰す事は原理的に不可能なのだ。この国の最悪の結果について国民は誰にもその責を問えない。これが民主主義の最終回答である。例え国家が歴史から消去されても仕方がない。それを選択した結果と受け入れる。民主主義はそれを決して否定しない思想である。

 

少子化対策はすでに子供を産めば事足りるという段階にはない。その程度の対策では変化しない事は分かっている。つまりこれまでの対策は尽く失敗した。そのような状況で、72歳にもなった人が、何も考えずに無邪気に発言する、なんと浅薄な内容だろう。1gでも知能を司る神経が動いているなら、こんな発言はしない。

 

しかもこれが結婚式での挨拶だという。ある責任感を持って機会がある度にこの発言をし続けてきたのであろう。こういう話をする人はこの人だけではあるまい。当人はともて良い話をしたと満足しているであろう。これが十八番の話なのである。

 

問題は、話したい事が何もない事なのである。だから毎度同じような話をしては満足するのである。話す事が何もないのであれば、断ればいいのに。見栄があるから断れない?まさか、70才を超えて?それではもう一種の幼児性ではないか。

 

そもそも少子化は先進国に共通の現象である。フランスなど一部では対策に効果が見られるとされるが、それでもたかが 2.01% である。その他の先進国は1.2%から1.9%の間だ。

世界開発指標 - Google Public Data Explorer

 

と考えるならば、その原因は産まない事にあるのではない。では何と因果関係を持つのか、強い相関関係は何か。これを見つけるのは専門家の仕事である。そこに決定打がないから、こういう人が好き勝手な発言をする。そういう点では、この発言は学問の敗北である。

 

では、この人はそんなに強く批判されなければならない悪人か。恐らくそんな事はない。この人もまた良き人のはずである。仕事の内容は知らないが、それなりの人材であろう。少なくとも、その家族、友人からすれば、とても良い人なんです、ラングのように、といった感じであろうか。

 

この人は 2012年に議員になった人だ。1982年から長崎県議の人であった。こんなに長く政治の世界にいた人なのに、県議でこのレベルなのか、地方分権など絵に書いた餅という証左とも思える。

 

だが、こういう発言が過剰に話題となる社会にも問題がある。下らない馬鹿な話しを無視できない。取り上げて激しく反応しなくてはならぬほど、この程度の発言にも現実味があるのである。少しでも油断したら、本当に法制化しそうなのである。

 

そういう意味では、この人の発言は、世論を知るためのアクティブソナーの役割を果たしている。この発言とその反応で世論を知る。ここが最も重要な点かも知れない。

 

政治家が綺麗事や建前しか言わず、普段は寡黙に仕事をし、ある日、急に問題のある法律を成立させた、そういう状況の方が余程に怖い。政治家から、どうであれ本音の発言が出る方はオープンな環境と言えるのである。

 

一年間に100~200本近い法律が生まれる。その半分以上は法改正であるが、その全てを知っている人は、日本国内にもいないだろう。居るとすれば内閣法務局の人であろうkか、それでも一人で全部ではあるまい。

 

人間だから誤解もあれば、差別的発言もある。そういう発言を、厳しく批判すべき場合もあれば、間違いを指摘する場合も必要である。いずれにしろ、理解する事が重要であるし、常に批判が正しいわけでもない。

 

ふたつの対立がどちらも正しくてどちらも間違っている、そんなケースもある。誤っているから訂正する、それで済むような話なら簡単である。

 

もし彼らが批判をものともせずそれを強制してきたら?それを警戒する必要はある。だが、それは今の憲法が禁止しているはずである。