エアガンで男児撃つ? 男ら逮捕

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こういう人間はさっさと殺すに限ると考えるが、その法的根拠を思いつくのは難しい。

 

先ずなぜ殺すべきかと言えば、子供をエアガンで撃つような人間は社会の益が期待できないからである。こういう人間の存在は、人々の間にある集団に対する不審を高める。人々の間に疑心暗鬼を強める。

 

そういう負の効果を考えれば社会から追放すべきなのである。そのひとつに拘置所や刑務所があるのだが、ではこの程度の人間は2年や3年で社会に出てきて、更生が期待できるか。

 

誓っても良いが0である。つまり益がない。だが、もちろん、菊池寛の『恩讐の彼方に』のような例もあるから、実はこの論は完全とは言えない。つまり根拠として使えない。

 

更に論を進めれば、益のない人間は殺してもいいのか、という話になる。もし、二重規範を避けるならば、それは否定できないはずである。だが、諾と肯定するのは、正しくない。twitter で話題のあれとかこれのような人間にはなりたくないからである。

 

益のない人間と言われて、誰が反論できようか。お前が勝手にそう思っているだけ、と指摘されたらそこで終わりなのである。その場合に、殺されることを受け入れるべきか。それはあまり受け入れたくない。

 

それでも、これは犯罪者の話ではないか。元来、生物において子供への犯罪はひどく嫌われている。小児性愛者は、刑務所に入ってもリンチされるとアメリカのドラマで言っていた。極悪の犯罪者の中にさえ、犯罪への嫌悪があるのである。

 

子供への犯罪こそは憎むべき最たるのか、そういう短絡な結論でよいか。それでは子供を持たない人は、持つ人よりも価値が小さいという結論に直結する。子供だから、という理由もやはり筋が悪いようである。

 

多くの人が認めるように、これらの犯罪者を人間として扱うことが問題なのであって、こんなの人間の姿をした何か別の動物であると定義してしまえば、裁判の必要もなく、街に降りてきた熊と同様に処分できる。

 

そういう熊を無条件で殺すのには自分は反対派だから、人間のエゴイズムというものに対しても懐疑派である。しかし、そうするとこの凶悪な犯罪者を死に至らしめる根拠は更に失ってしまうのである。

 

いっそ、自分がスターリンならいいのに。そうしたら気に食わないから殺す、顔を見たくないからシベリアに送る。そうできるのに…と思う。