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全米オープン2018 故意に動くボールを打ったミケルソン

news.golfdigest.co.jp

 

2018優勝者のケプカが 1 Over というタフなコース設定。アスリート向けゴルフコースはアマチュアなら面白いのだが、そういうレベルと一緒にしちゃいけない。

 

Golf network の解説によれば、健康サンダルのポコポコがそのままグリーン上にあるようなものらしい。我々ならコース整備に手抜きしやがってと不機嫌になりそうなもんである。

www.usopen.com

 

動いているボールを打つのは規則 14-5 にある。ヨーロッパのルールは定義の上に定義を重ねてゆく数学的な手法が採用されている。用語の意味を曖昧にすると途端に意味が把握できない、読みこなすのも大変である。

 

それでも、2016年の US Open で Dustin Johnson が食らった二打罰と、今回の Phil Mickelson の二打罰では話が違う。

 

ルール上のペナルティを意図的に覚悟の上で行うのは、他のスポーツでも時々おきる。サッカーならペナルティキック、レッドカードも覚悟の上でハンドしてゴールを防ぐようなプレーだ。これも非難はされるが、ルール上の規定から逸脱するものではない。ルール製作者たちの想定の範囲内だ。

 

一般的にそのような行為は明らかに損となる。だから行われない、と考える。だが、時にペナルティを選ぶ方が益となる状況が生まれる。今回のタフなコースもそれであって、プロ選手のパットが、面白いくらいに外れる。グリーンの周囲3ヤードは絶対に乗らないと解説されていた。

 

だからと言って、ミケルソンのプレーを全てのプレーヤーがするようになれば、プロゴルフは終わるだろう。そういう行為をファンは見たい訳ではない。だから、幸いな事に、このようなタフな US Open でも、そのような行為をしたのはミケルソンひとりであった。

 

そんな発想は持ったこともない、という人もいるだろうし、気持ちは分かるなぁという人もいるだろう。

 

3RD、13Hole Par4 を 10 で上がった。二打罰がなくても8。その日のスコア81。自分なら諸手を挙げて喜ぶスコアだが プロにとっての 11 Over は絶望なのだろう。

 

興味深いのは、この行為が許されるか、許されないかの議論が真っ二つに分かれている事だ。それほどミケルソンは愛されているゴルファーなのだ。もしこの行為がミケルソンでなければ、話は違ったであろう。

 

普通に考えれば失格でも不思議はない。ゴルフは紳士のスポーツと子供たち教えているコーチたちは、でもミケルソンもやったじゃない、と言われたら返す言葉もない。

 

そもそも「ゴルフ」はイギリス発祥のスポーツである。イギリスの歴史を少しでも学べば紳士とは騙して益を得る行為のことだと思わないでもない。所が、神話では「権謀」として人間の機知は高く評価されるのである。

togetter.com

 

今もビジネスの世界では、ルールを逆手に取るやり方は評価される事も多い。アルカポネを逮捕するのに国税局が取った方法は評価に値する。だから、権謀術数は爽快なケースもあれば、不快なケースもある。

 

ミケルソンの行為がなぜ非難に値するのか。それはルールの理念に反するからと思われる。ゴルフの理念はあるがままに止まっているボールを打つ事だ。この一点に尽きる。動くボールを打ちたければフットボールにでも転向するほうがいい。

 

もし彼が優勝争いに絡んでいたらどうだ。すると、この行為はもっと厳しく糾弾されたであろう。このような行為をする王者は普通は許されないはずだ。

 

一方で、この時の彼の状況は優勝争いからは遠かった。特に3RDは最も過酷な日であって、その時点で+10、優勝ラインが E であったから、そのような状況が彼にして、そういう行為に及ばせた可能性もある。

 

だから US Open では大きな問題ないが、今後、このような行為をした人が優勝したらどうなるのか。この行為には何か大切なものが示唆されているように思われる。

 

ルールは基本的にはない方がよい。だからルールが存在するのは、全員の中で公平性を保つためだ。同様の行為が異なる罰則、または利益となるのはフェアではない。という自然と思われる考えを利用して、同一労働同一賃金というまやかしが発生している。

 

この政策は低い方に合わせるための正当性に過ぎない。正しいように思える理念が格差拡大を加速する。そもそも、企業も時期も状況も違った条件で本当に同一労働などというものがあるのか。それは架空ではないのか。それは本当に同じ価値と言えるのか、富士山の上にある水は何倍も高いのである。砂漠の真ん中で手に入れる水は決して安くはない。

 

Dustin Johnson の 1mm が1打罰でミケルソンが2打罰であるのはおかしいという話もあるそうだが、1cmであろうが、100Yard であろうが、一打は一打である。だが、意図しない二打罰と意図した一打が同じ二打罰であるのはフェアとは思えない。

 

これは単純なルールの不備ではないか。意図した場合は+4とする改定がなされるかも知れない。

 

ルールに対する態度にはアメリカ人だからこそのものがあったのではなかろうか。アメリカの合理性からすれば、これは何ら非難に値しない気もする。ここが不文憲法を擁するイギリスとのルールに対する考え方の差が行為として現れたようにも思える。

 

正しいを語っても仕方がない。だが、この行為には何か深いものが潜んでいる気がする。ゴルフがゴルフでなくなるような何か。現在のゴルフは最終的に人の誠心に基づく。そしてこの行為もまた誠心であったと言える。何によってこれを咎めよう。