小学校校舎にも発砲か、銃弾3発見つかる 富山2人殺害

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福岡市中央区で起きた事件も、富山市の事件も、ナイフによる殺害である。そのいずれも複数~何十回と刺すことで、ほとんど完全に殺傷に成功している。ナイフによる殺傷では秋葉原事件が有名である。

 

いずれも、計画的に、情報を入手し実行している。博多の事件ではインターネット上の言論が話題にされたが、秋葉原事件だって掲示板での誹謗中傷が原因である。

 

言論による殺害では、悪魔の詩を訳した筑波大学助教授の事件を思い出す。イランのホメイニによるファトワーが原因とされるが、実行犯は捕まっていない。こういう事件の当事者からすれば、今もアメリカやイスラエルがイランを爆撃すればいいのに、と思っている事だろう。輪廻である。

 

富山事件は今もその原因も目的も分かっていない。拳銃を奪う計画性を持ち小学校を襲撃していながら、誰をどのくらい殺害するのか、どうも計画的とは言えないようにも思われる。

 

手あたり次第に、出来るだけ多く、というのはどうも解釈に困る。亡くなった人たちへの攻撃は、躊躇なく実行された。だがその後の行動がどうも不明だ。実行に移す前に警察に捕まったのか。ならば計画が杜撰であろう。たしか警察に銃撃され意識不明になっている。理由は永久に謎になるかも知れない。

 

警察というものは、基本的には生きて捕縛するのが使命である。その辺りが生死を問わない軍隊と異なるので、おのずと必要とされる技術も異なる。

 

なぜ警察が生きたままに拘るかといえば、当然だが、理由を知る必要がある。もし組織的ならその背景を知る必要がある。このあたりは諜報機関と似ているだろう。

 

更には、警察だけが「正義」の象徴である。人類社会で警察から正義が失われれば革命である。アラブの春もきっかけは警察官の横暴であった。必ずしも警察が正義とは言えないが、警察が正義の最後の砦のような所がある。ここが崩壊すればどうしようもない。

 

だから警察の横暴は長く記録されないければならない。所が困ったことに小林多喜二の拷問死にしても、携わった人たちは勲章を貰って堂々としている。神戸大学院生リンチ殺人事件にしろ、徳島自衛官変死事件にしろ、警察の行動は許容しがたい。共犯として死刑にすべき事案もあるはずなのだ。

 

そういう話もあるから、信頼してはいけないし、信用しなければならない組織としての警察がある。そして、全国30万の警察官に対する信用も、たったひとつの署の不祥事で崩壊する。

 

いかに警察が強力であっても、国民のすべてが蜂起したら対抗のしようがない。5万人のデモを見るときに、一番の恐怖を感じているのは警察官であろう。もしこれだけの人が一斉に暴徒と化したら何ができるのかと。そんな理由もあってか、どうも警察とか官僚というものは全体主義に陥りやすい。ま、全体を制御するのには簡単な方法だからね。

 

どうあろうと封じなければならぬ、と国家が震撼したのは天安門事件であろう。それは今も中国を縛り付けている。

 

北朝鮮の規模と人口だから押さえつけに成功できるのだろう。半島でその両サイドが海だから助かっているとも言える。もし中東のように周囲がすべて陸続きだと話は途端に難しくなる。人の移動する能力は哺乳類の中でもダントツだそうである。

 

シリアの混乱は最終的には武力による解決しかなかったようである。それでよい世界が来るかは知らないが、話し合いでは解決できなかった。アメリカが貸与した兵器が優良すぎれば、相手は更なる武力を投射する。エスカレートする道しか残っていない。

 

敗北する人がどこまで逃げ切れるのか、どこで殺されるのかは知らない。恐らく寛容も許しも存在しない事態になっている。双方とも人が死に過ぎた。互いの正義が下せなくなっているのではないか。もう正義以外の価値観が残っていない。

 

正義は他の価値観を飲み込む。全ての色を染めてしまう。正義にはそういう性質があるらしい。だから正義の価値を持ち込むのは一番後にしよう。そうしないと、正義という濁流で溺れてしまいそうだ。