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イタリア、移民対策で強硬 EU首脳会議を「人質」に

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移民といってもEUが直面しているのは10や100ではない。日本の難民施設で自殺者が出るのも問題と思うが、あちらでは数万を超えて、数十万にも達すると言われる。

 

サンマリノが人口4万人、アイスランドが36万人である。この数はひとつの国家が生まれるに等しい。

 

すると移民問題とは、人種や文化を超えて、国家という概念を揺さぶる問題と思われる。人は群れの状態から集団を作った。最初は村単位であったにしても、縄文人からして自分たちの村には堀と強固な柵を設けていた。

 

この外部と内部の隔離は生命が最初に細胞となった時からの伝統であって、内と外の認識が拡大してゆけば現代国家まで辿り着く。国家は自ずと、人民、民衆という単位で統一されなければならない。逆に、そのために王権や元首というものが、近代国家以降も手放せなかった。

 

移民は、そのような国家形成とは異なる所で誕生した。途中で外部から入り込んだ存在である。

 

日本の歴史は、渡来の歴史でもある。一万年前に列島化するまでは、周辺地域の一つであった。その後に海を越えていくつもの異なる民族がやってきた。その人たちがどのように融和したか真実は知らない。

 

それでも大国主の神話を知るものはそれが平和裏に譲られた事に誇りを感じるであろう。これほど平和な融合はあるまい。だが我々の神話でそれ以外は多くの征伐に溢れている。

 

アメリカも白人の国家である。リンカーンでさえ、黒人をアメリカに組み込む考えはなかった。彼はアフリカに送り返すか、どこかに独自の国家を作るべきだと考えていたし、インディアンに至っては絶滅上等であった。

 

多民族国家、サラダボールと自認するアメリカでさえも、ひとつのコミュニティとしての多民族は実現していない。すると、この問題の核心にあるのは、国家という制度は移民を前提とした作りになっていないということになる。

 

人道主義から移民を受け入れるという考えは、極めて正しいと思われる。だがその後の混乱を思えば、よい未来に至る道とも思えない。

 

移民の人の殆どがよき人だとしても、犯罪が起きれば、ほら移民だからと理由にされる。それはちょうど同じ失敗をしても、やっぱりこれだから女は、と言われるのと全く同じ構図だ。

 

水は低い方に流れるように、人はもっとも簡単な理由に飛びつく。これはオッカムのカミソリとは関係ない話のはずだ。

 

本当の原因を究明するくらいなら、最も著しい違いに着目し、それを原因とする。その違いが、こうなった理由であるという事にしてしまえば、話は簡単になる。最も簡単な理由こそが、もっとも早く安心する道である。

 

難民問題は、最も顕著な例と言えよう。そしてヨーロッパが隣国の問題に介入しないことが根本の原因と思えるが、内政不干渉という建前がこれを放置している。よって難民問題でできる事は対処療法しかない。

 

だが、人の命は100年程度である。内乱が50年も続けば、もう移民とは呼べまい。それは国民であるはずだ。移民が数年という期間で区切られた問題ならば、ずっと話は簡単たったはずだ。いつ終わるか見通しが立たないから問題も人数も顕著化する。

 

広々とした荒地でもあるのなら、そこに押し込めてしまえばいい。もしどこかに無人島があればそこに送り込めばいい。彼らにひとつの国家を与えれば、問題は解決しように思われる。もちろん、難民も多数の民族で構成されているから、きっと騒乱が起きる。

 

結局、ヨーロッパの安定のためには周辺地域の安定が欠かせない。そういう意識に立てばヨーロッパは積極的に海外の和平、または武力鎮圧に打って出るしかない。物理的な限界は近づいている。

 

早い話が、アフリカの住む全ての人がヨーロッパに移住するまで難民政策を続ける気か、と問われたら返す言葉もないだろう。

 

問題を解決するためには、各地の紛争についてよく知る必要がある。そこに妥協を促す組み立てが必要にある。大量の移民や大移動が発生しても平和裏に融和した歴史はある。だが、国家が分裂すれば、また民族という纏まりで国家になった。アレクサンドロスの大統一を実現した所で、多数の国家に分裂する歴史は疑いようがない。

 

移民の人たちもそれぞれのバックグランドを失うことなくその場に住むはずだ。我々は外来種を激しく駆除しようとするが、生物はこういった問題を上手に解決する、もちろん、絶滅も含むが。

 

一民族一国家が我々に相応しい世界観かも知れない。多様性を言いつつも、民族はひとつであるべきなのか。

 

だがすべてが同じなどありえるはずもない。すると部外者はどの程度の割合であるのが望ましいか、という話かも知れない。

 

多数派と少数派の混在はどの国家も抱える問題である。またこれまでの少数派が多数派に変わりつつある現実と対面するアメリカのような国もある。

 

ヨーロッパが対面している問題は、彼らの建前と本音を全てさらけ出す事から始めるしかないと思われる。これ以上、自分たちを偽るな、これ以上は不可能だ、という所に追いつめられるべきだろう。それを世界に先駆けてやってくれるのは有難い。

 

中世であるなら、多数派によって国家は緩やかに置き換わりができた。近代国家はこの流動性に乏しいような気もする。それ故に別の解決策が必要なのかも知れない。多数の移民がヨーロッパに突き詰めるものは、国家の分裂という終着駅しかあるまい。我々が手にしている現代兵器が、この問題を加速する。

 

我々は未だ民族という幻想でしか国家を語れない。この結論を世界は拒否できるだろうか。