サウスゲート監督、ベルギー敗戦は意図的? 英メディア『BBC』が発表

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チームのスタッフであるなら、様々なオプションを監督に提示するのは責務であって、当然だが、負けを狙ってチームを次に有利な位置に運ぶ事もオプションの一つである。

 

全ての敗北を許さないのであれば、例えば将棋で言えば、ひとつも駒を取られてはならない、囲碁で言えば、捨て石は駄目と要求されるようなものであろう。だが、これらは局地戦での話で最終的な勝利を放棄する話ではない。時に引き分け、撤退、敗北という戦略が浮上することはある。

 

彼らは、これを最終戦までの一時的な敗北と捉えている。だが、その結果がどういう心理的な影響を与えるかについて深い考察が必要と思う。人間は機械ではない。そこが一番のポイントになる。

 

戦い易いトーナメントに入れば、決勝まで進む可能性は高くなる。ベスト4に入る可能性も高くなる。

 

だが、強豪がひし めくトーナメントを勝ち上がってきた国は、ブラジル、メキシコであろうが、アルゼンチン、フランスであろうが、ポルトガルウルグアイであろうが、ベルギーであろうが、どれもアツアツに燃えたぎって来るはずである。

 

本気で優勝を狙うならば、疲れていない間に早く強敵と当たって叩く方がいいという戦略もある。実力が拮抗している場合、激しい戦いをへて最高のパフォーマンスで勢いに乗るチームを相手にするリスクは並大抵ではない。

 

敗退して有利に進める戦略は途中までで良いと割り切った目標ならば構わない。最初から自分たちの戦力では優勝できないと考えているのなら、それも戦略であろう。

 

だが、そのような方法を選手が支持するか。チームの士気が落ちてしまいそうだ。自分たちに負けてこいと命じる指揮官のために、戦おうとする選手がいるだろうか。戦うチームが作れるだろうか。そういう人は、お金で買ったり、女を抱かせて手にした勝利でも平気で掴みそうだ。

 

もちろん、アマチュアならばそれでもいい。彼らの競技に対する熱量はそういう類のものであって、結果としての勝利に貪欲である事は罪ではない。ワールドカップはアマチュアの祭典であるから、この行為も決して批判される言われはない。

 

プロ野球でも順位が決まった後には控えだけで戦う事もある。だが、その場合でも負けてこいとは送り出さないように思う。

 

ファンが冷めたり、熱気を失うリスクだって考えないといけない。自分たちのサポータからヤジや批判を受けるほどの屈辱はあるまい。そんな悔しい思いをする選手で勝てるとは思えない。

 

監督に苦渋の決断があったとしても、ピッチに立つわけではない。彼の正当性は結果と協会が判断する。だが、そんな試合に出された選手からすれば、お前たちでは勝てないと宣言されたに等しい。そんな事を言われて平気でいられる選手がいるとは思えない。少なくともこのレベルの選手ともなれば。

 

それがどれだけ深い傷を残すかを憂慮する。それが選手生命を消してしまわないかを思う。その後の長い不調の原因になるかも知れない。勝利を放棄した人にどんな後遺症が残るか。どのような人であれ、囲碁棋士だろうが、サッカー選手だろうが、野球選手だろうが、勝負に生きる人はみな負けず嫌いなのである。

 

テレビでやる遊戯的なゲームでさえも負けを拒絶する。本気で悔しがる。誰が相手だろうと勝ちに行こうとする。そういう人種に対して、お前たちでは勝てない。だから、負けてこい、負けてもいいと言われて平気でいられるだろうか。

 

頭では理解できても、選手として一番大切な心の奥底で決して相容れないはずだ。その拒否反応が簡単に収まるとは思わない。試合の勝敗とは彼らにとってそれだけの重みがあろう。

 

だから、結果的に決勝トーナメントに有利に進む方法だとしても、その傷は癒せないと思う。一度牙を抜かれて戦えるチームが作れるとは思えない。

 

一度たがが緩んだチームを立て直すのが如何に難しい事か。負ける事を受け入れてしまったチームが、次は勝利に貪欲になれるものか。

 

もし、これが長期戦であれば、それも可能だろう。そこから立て直す時間もあれば、その戦略の意味を説明して選手の気持ちをほぐす時間もある。長期戦は士気だけでは戦えない。お互いに託しあう気持ちが必要なはずである。

 

だが、短期戦は異なる。一度波に乗ったチームは何をしても押し戻す事はできない。逆に、一歩でも後退したらずるずると行く。短期戦は流れが重要だと聞く。一度でも下げてしまった士気を、もう一度たかく揚げられるものなのか。

 

負けを狙う戦略は、時にクレバーで指揮官にとっては、ぎりぎりの勝負という場合もある。だが、それは指揮官の勝負であって、選手のそれではない。たとえその賭けに勝っても、選手への影響を考えるとプラスマイナス負債にならないか。

 

もちろん、プロフェッショナルである人ほと、そういう心理面の扱い方はよく訓練されている。つまり、それだけ心理的な側面がパフォーマンスに強く影響するという事だ。

 

それを選択するリスクを考えると、選手のワールドカップ後までも含めて考えると、如何に戦略が正しくても、挫折を味合わせる戦術には納得できない。と言った所で、スタッフじゃないから意味はないんだが。

 

こういうケースを味わって、アマチュアとプロフェッショナルの違いを考える。アマチュアなら非難に値しない戦術が、なぜプロフェッショナルだと非難されるのか。

 

マチュアは自分たちのお金で勝負をする。はっきりいえば、応援団など家族で十分なのだ。だが、プロフェッショナルは違う。ファンが支えている。そこに市場がある。プロフェッショナルには市場を開拓する義務がある。

 

もし、市場を失えばプロフェッショナルは消滅する。ファンからそっぽ向かれたら終わりだ。だから、プロフェッショナルには誇りがいる。感動が必要だからだ。自分の技術をただ向上させたいだけなら、山奥にでも入って勝手に極めてくれ、という話になる。

 

ではファンを大切にしないし、バカにもする人が、世界最高の技術で人々を魅了した場合、それはどう評価されるべきか。その時、市場が拡大しているのならそれは正義であろう。もし市場が停滞したり縮小するのなら、相応しくないと言えよう。プロフェッショナルは市場の中にしか生きられない。

 

マチュアは市場などなくても活動する。好きという理由だけで十分なのである。ここにアマチュアの強みがある。だから、どちらがより最高峰であるかは状況次第だ。アマチュアがプロより優れるケースもありうる。しかし、一般的に、それだけの人材をプロフェッショナルな市場が見逃す可能性は非常に小さいからまず起きない。情報化の時代である。

 

なぜ選手がファンに謝罪しなければならない状況を作るのか。それがチームのパフォーマンスに影響をしないはずがない。だから、次のパフォーマンスには注目すべきだ。彼らは勝利できるだろうか、チームは崩壊してはいないだろうか。心配の種は尽きまじ。

 

もし見違えるほど生まれ変わった試合をしたならば、すべてが素人の妄想であった、と笑えばよかろう。6-0と予想する。