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書き溜めの集積場

崎陽軒が弁当類を値上げへ

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ヨーグルトの量は減る。値段は変わっていないが、内容量が減って実質的な値上げが起きる現象をシュリンクフレーションと呼ぶ。

 

単純に値段が上がることは、インフレーションのひとつの現象であり、よって、日本の経済状況はインフレのはずだが、どうもそうではないらしい、デフレというのが一般的な経済通の話である。

 

経済とは交換の原理に基づく。一般的に1:1の等価交換は何も生み出さない。これは物とお金の交換が発生しただけである。ここで交換にもエネルギーが必要という考えを導入すれば、エネルギーが必要な分だけ交換には上乗せが必要なはずだ。

 

よって経済に平等な交換は存在するはずがなく、常にエネルギーの増加分だけ上乗せが起きる。これは高い温度と低い温度のように傾斜を持っていると例えれば分かりやすいだろう。1:1の交換では温度は等しくなるだけだ。エネルギーが上乗せされなければ必ず冷めてゆく(温度は一定になる)。

 

交換は不平等が当然である。平等な交換は冷却され交換状態は失われるだろう。そうしなければ必要なエネルギーを賄えないからである。交換に必要なエネルギーは交換の中に上乗せしなければならない。これが価格>物の価値となる理由である。この上乗せしたエネルギーが最終的にはパンとなり便となる。

 

経済とは価格=エネルギー+価値と考えられる。この余分なエネルギーは目に見えないので、どのような値も言い値である。100円でも1万円でも1億ドルでも任意の値である。

 

ここで互いの合意に基づく契約というものが発生する。これを敷衍すれば、脅迫しても互いに合意すれば契約は成り立ったという事になる。そのような経済が賢いと考える人も沢山いる。騙し、出し抜く、盗む、奪う事が勝利の条件と信じる人は掃いて捨てるほどいる。

 

いずれにしろ、このエネルギー分をマルクスは剰余労働と呼んだ。そしてこのエネルギーの別の名前が信用である。交換の度にエネルギーは上乗せされるので、世界におけるエネルギーの総量は価値の総量よりも遥かに大きい。

 

このエネルギーの存在が経済の本質部分であろう。物の交換だけでは決して発生しない。経済の幻想性という部分でもある。どれだけのエネルギーが交換に投入できているかは経済の強さとニアリーイコールと言っていいだろう。

 

「価格=エネルギー+物の価値」なので、物の価値が上がれば価格は上昇する。水が足りない、石油が足りない、足りなければ価格は上昇する。紀伊国屋が儲けたのはみかんの不足が原因だ。

 

一方で金融商品はエネルギーの測定と言ってよい。ここが高いということは人々の活動が活発であるからだ。それは更に上昇するという期待が生まれる。この期待によって実際にエネルギーは上昇するだろう。

 

いずれにしろ、人間は有限である限り無限に触れる事はできない。それができるのはSFの世界だけである。よってエネルギーの上乗せは永遠に続くことは不可能である。ハイパーインフレでさえ、たかが兆の単位までである。

 

ハイパーインフレは(エネルギー>>価値)となり、エネルギーが極めて大きく、物の価値が非常に小さくなった状態だろう。人間はエネルギーだけでは生活できないので物の価値が小さくなり、不足してゆけば、生死に関わる。意味のない経済は失われ、エネルギーを全て吐き出す事で物の価値を取り戻す事ができる。

 

デフレーションは(limエネルギー=0)に近づく状態と言えるだろう。価値が高いものを手に入れるのにエネルギーが少なくてよい。だから買い物はお得のはずだ。だが経済全体のエネルギーの総量が小さくなっている分だけ、縮小傾向にある。物の総量は数十年ではそう変わらないから、バランスが崩れた状態には違いない。

 

物の価値を高くする原因は沢山ある。原料の上昇は、他で上昇したことの連鎖による。その他、規制も物の価値を高くする。例えば、耐震基準の見直しは、それだけで橋などに使用するコンクリートの量を増加させる。増加すれば価格も上昇するのが当然である。

 

様々な規制がそのように要求するのは当然だが理由がある。だから、それをなくせば安くなる。規制がなくても社会が自浄作用を持っていてうまく回る、経済は悪い品物を市場から淘汰する。なるほど、確からしい考えだが、それは性善説に基づく考えである。悪貨が良貨を駆逐するように、このような意見を言うものが性善であった試しはない。それは性悪説の典型のような人間である。それを疑う者は竹中を参照せよ。

 

日本がデフレ状態にあるのは、どうも確からしいのだが、物の価格が上がっているので、これはインフレ状態ではないか、というのも確からしい。

 

インフレとは物の価格が上がる事である。その上がる理由がエネルギーの上乗せ分によるならば、それはインフレであろう。ならば、物の価値分が増加する事はインフレの定義ではないように思われる。

 

だから、現在の状況は、エネルギーの不足である。エネルギーが期待するほど注入されていないのは明らかだ。これは現在の経済政策に何か見通しがあるからだろう。これまでの20年近く、叩こうが押してみようが、十分なレスポンスは見られなかった。何かが違うと考えるのを躊躇する理由はない。

 

この20年間、格差を作り、階層化社会を推し進めるために動いた連中がいる。彼らが狙ったのは、経済改革ではない。一割の人間が、それ以外の9割の資産を奪う方法の合法化である。それをやるのに経済的疲弊が都合よかった。彼らは大衆が自分の生活でアップアップし苦しんでいる今がチャンスだと考えたのだ。

 

だが、それは決して経済学の当然の帰結ではない。経済学はそういう学問ではないのである。これだけははっきりしている。略奪者は経済学を必要としない。ただ人々を騙すのに都合のよい説得力として経済学を利用した。そして政治家に取り込み、法律を変えた。

 

それは筍の値段とは何も関係ない。