10 million bugs from my attempt @nanoris

書き溜めの集積場

NHK島津有理子アナが退局、医師目指して大学へ

www.sanspo.com

 

「100分de名著」は面白い。「ゆりこ’s EYE」で取り上げられた「薔薇の名前」ではこの人がとっても前のめりになって作品と対峙していたのが印象に残る。生き方、みたいなものにとても不安になっていた現れであったのか。今なら納得する。

 

www.nhk.or.jp

 

所で 44歳の人が今から医師を目指しても、使い物になるのは 54歳くらいからだろうか。ブラックジャックをこよなく愛するひとには「50の手習いですわ」というセリフが蘇るのである。

 

技術(医療も技術の集大成)というものは長年の蓄積が必要な分野であると思うが、もちろん天才の出現を拒否するものではない。また年を取ってから飛び込むのを否定するものでもない。でも若い内から取り組む方が有利であることは間違いない話だと思う(例外がないという話ではない)。

 

では技術の本質とは何か、という話になる。まず多くの経験を身につけるには時間が必要だ。宮崎駿の10年ではないが、その10年を燃やし尽くすのにもその前に長い準備期間が必要なはずだ。それが5年や10年程度とは思われないのである。

 

所が技術をものをいう世界をよく見ると若い人の台頭が激しい。昔、囲碁棋士は40前など小僧扱いであったが、今では若い人の勢いに押されている。音楽などは老齢の渋みも捨てがたいが、若い人の勢いの前では霞んでしまう。オリンピックだって、基本的には若い人が中心にある。

 

では技術の必須要素に体力はあるのか。これが長期的な作業になれば、絶対に欠かせない要素になる。短い時間なら渡り合えるという人でも、長引けば必ず若い人の方が有利になる。

 

だがそれだけでは足りないのは明らかで、素人では決してプロに勝てないのは当然ながら経験の蓄積がものを言うからである。この経験の中には、暗記もたくさん含まれる。受験勉強だって経験の積み重ねである。そうやって当然知っておくべきことを知っていること、その上に展開された知識の網羅率がものを言う。

 

すると子供のうちから初めた方が有利であって、それに10年程度の経験を重ねれば、世界でトップとも拮抗できる技術が身につくというのが現在の戦略だろう。このやり方が本当に正しいのかは知らないが、20台という体力のピークに経験値を最大にしようとするなら、確かにこういう方法しかないだろう。

 

かつ、子供の頃の脳の発達は、大人では得られないものがある。成長期に身に着けたものは強力と思われる。モーツァルトが子供のうちから音楽を初めていたから、ああなったのか。違えばまた違う音楽が生まれていたのか。人生は一度きりだから考えるだけ無駄であるが。

 

ただどのような技術であれ、人間にとっては無限と呼んで差し支えないほどの有限世界が相手である。その前では人間の経験など4から5程度である、と高名な棋士たちも呟いていた。

 

だから経験を積むのは未知のものに対峙した時に、取れるオプションが幾つ用意できるか、その準備の為である、と言ってもそう間違ってはいまい。答えが決まっているものなどコンピュータに任せていればいい。答えの無い世界でどう対峙し決意するか。そのために経験があるのだ、と思うのである。

 

もちろん、それは経験がある方が有利なだけで正しい答えが選べる保証はない。そんなことは太古の人々から知っていた。だから神というものが誕生したのだと考えてもよい。

 

一方で AIとは膨大な経験を蓄積できる機械である、と考えてもよい。人間の経験を遥かに超える機械が誕生した。Google囲碁 AIが自己対戦した数は400万局とも言われている。人間は1000勝もすれば大棋士である。

 

この数の圧倒的な違いは、逆に言えば、現在の AIは数万、数十万、それ以上のデータがなければ効果的な結果を出力できない、と考えてもよい。人間はわずか数十のデータからでも何かを読み取る。

 

もちろん、その程度のデータで分かった気になる人はとても多く、だから平気で日本人とは、中国人とは、アメリカ人とは、EUとは、韓国人とはと言ってしまう。1億、12億、3億、5億、5千万人、その全員と会った事もないのにも関わらずだ(この数でもかなりの人を切り捨てたり架空の人を入れ込んだりしている)。

 

僕は思う。技術とは個人の中の蓄積のことであり、己の技術を最終的に育てるのは己の美意識だけであると。

 

いずれにしろ、その年で何かを目指す決意はとても清々しく、結果を問わずにチャレンジできるのは、ある意味では若さかも知れない。いや、若さでは出来ないかも知れない。経験を積んだからこそ出来るチャレンジもあるはずだ。

 

その年の数だけ見てきたものがある。若い時には決して見えなかったものが今では見えるようになった。もちろん失ったものもある。見えなくなったものもあろう。だが、それは経験として残っている。その有利さで戦える。見事に弁護士になった女子アナウンサーもいる。大学の医学部によれば女子は男子より可成り優秀だそうである。

 

その選択がより多くの未来を開けばいいね。