水10ドラマプロデューサーが語る“普通”の天才・新垣結衣の魅力

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新垣結衣は新境地を目指してきたが結局は失敗した女優と言えるだろう。彼女のイメージはマイ☆ボス マイ☆ヒーローとポッキーのままだ。

 

20代を向かえていつ迄もセーラー服は着れないわけだから、そこで最初のイメージ転換が必要となった。その時の戦略は、基本戦略を変えるものではなく、女子高生が卒業した後、社会人になった後の姿、そのままであったように思われる。

 

空飛ぶ広報室は非常に好きなドラマだった。F15のリアルある映像に一辺に引き込まれた。だが、その時の彼女に『“デキる”女性』というイメージはない。原作を読んだわけではないが、仕事を始めて2~3年目、そろそろ仕事を覚えてきて、自己主張を始めてもよい頃、という感じだった。

 

そういう役が彼女には多い。リーガルハイも基本的にはそうであった(見てないけど)。だから、よく知っている人がその世界にはいて、その人との出会いを通して新しい世界を知り、新しい見方に触れながら、その世界の中にコミットメントしながら、その経験を通じて自分の考えを確立してゆく、そんな役が合う。

 

これが前出のイメージ転換の延長線上にあるのは間違いないが、それも20代だから可能だったという話である。30代を向かえるに当たってイメージ転換がどうしても必要な時期にあり、だが、彼女のこれまでの演技では、多彩に、いろんな役を演じ別けられるタイプではない。

 

 

野木亜紀子はアンナチュラルの脚本家である。アメリカのドラマと比較しても推理部分は劣ってなかった。

 

新垣結衣は自分の存在感を全面に出しながら、イメージ優先で役を務めるタイプと思われる。イメージ戦略上、重要な作品は「くちびるに歌を」であったろうと思われる。

 

これまでの教わる立場から教える立場に立った時にどのような演技で答えられるかという作品だったと思うが、失敗であったと思う。彼女でなければ駄目な作品ではないし、同じやるなら他に適役はいたと思わせる作品であった。

 

教わる側に立つのは多くの場合、若者の特権だから、その時期にそういう配役にピタリと合うのは悪い話ではない。だがそのイメージが固定化すると困るはずである。いつまでの教わる側にいれるわけではない。

 

では彼女はどのような立場の演技ができるのか。それは今後も必要とされる配役であろうか。だが、「逃げるは恥だが役に立つ」のエンディングで見せた圧倒的な可愛さ、あの石田ゆり子さえもただのおばさんに感じさせるほどの圧倒感があった。

 

これが彼女の最大にして唯一の武器だと思うが、それが何時まで保てるかは分からない。イメージは少しずつ変えてゆかなければならないはずだ。可愛さだけで女が生きていけるかどうかは知らないが、若いまま生きて行けるはずはない。

 

逆に言えば、ここからが本当に面白いと思われるのである。

 

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このポスターを見る限り、彼女には人形の役がよく似合いそうである。このガラス玉のような視線がぐっとするではないか。アンドロイドのよい配役はないものか。

 

彼女の今後が成功するにしろ失敗するにしろ注目に値する。成功すれば、いかなる戦略によって乗り切るのか、失敗するならば、そこでの足掻きが見逃せれない。

 

これは同世代の女優がみな直面している問題でもある。昔から同じ道を辿ってきた女優がたくさんいる世界である。若い人たちが台頭し、演技力でも魅せる女優が存在する(見た記憶はないが)。

 

それぞれのが自分の戦略の中で、活路を見出そうとする。おそらく、生き残れるのは僅かに違いない。きらきらと光りながら泳ぐ子魚たち。ファイト。