張栩挑戦者が勝ち3勝3敗 決着は最終局へ 囲碁名人戦

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僕には棋譜からその戦いの凄まじさを知るだけの力がない。赤耳の対局(秀策vs十一世因碩)を見ていた人だって同様であったろう。だから耳の赤さでその趨勢を予測したのだ。

 

そういう話を面白く読み聞きするが、王 銘琬によれば、いやいやよく検討しようよ、因碩は決して負けていないよ、と主張する。大竹英雄囲碁には勝負としての側面と時間芸術としての側面がある。このふたつは両立することもあれば、片方が突出する場合もあると語る。

 

スポーツは勝敗にこそ価値がある。それは真実に違いない。では勝っている落合中日の試合が面白かったかといえば、賛否は分かれるだろう。僕は野球を見ないから知らないが。ホームラン合戦に狂喜乱舞する場合もあれば、玄人好みの地味な試合に感銘する人もいる。

 

たしかに銀メダリストの名前など誰が覚えていようか、という話はある。だが、銀メダリストの名前さえ知らないような人が金メダリストの名前を覚えるはずもない。もっといえばその競技に興味などもっているはずもない。ならば金メダリストを覚えている理由は、スポーツの勝敗とは別の所にある。たぶんマスコミで消費されたというやつだ。

 

馬場、猪木の試合こそ面白く興行的な成功を収めていた。時代はやがて藤原喜明を求めるようになった。クリンチばかりの試合が続けばボクシングは興行的に成功しない。格闘技の多くが寝技に移行して廃れたのと同じである。強みは面白さではない。

 

井山裕太を名人に押し上げる切っ掛けを作ったのが張栩である。高尾紳路山下敬吾羽根直樹と四天王を形成した世代+河野臨などの強者を乗り越えなければその先はなかった。その最右翼に張栩が立ちはだかる。

 

悔しい戦いが彼をひとつ上のステージに押し上げる。張栩がいなければ今の井山裕太はない。もちろん、他の誰一人が欠けてもないわけだが、それと当時に、井山裕太がいなければ、今の張栩もないはずだ。

 

昔の張栩はカメラの前ではとても口数の少ない人で、面白い話はたいていが奥さん経由でもたらされた。 

初めてのデート。今までは碁の勉強で会ったりすることが多かったけど、映画に行ったり、公園を散歩したりするのかな?付き合い始めた二人の眼に映るのは、あなたと私だけ……。そんな世界を夢見て始まった交際初日、張栩がまず語ったのは「地合いの正しい計算方法」でした。
「詰碁と張栩と私」 

 

 ちらほらと普段の会話が紙面やTwitter などでもたらされるにつれて、人間的な魅力が増していく。もちろん、井山裕太になんの恨みもないが、少しばかり張栩の応援を増やしても構わないだろう。1目として出入り2目分くらいは。それくらい井山裕太は強い。

 

小橋建太ではないが、彼もまた絶対王者なのである。永世7冠の羽生善治よりは若造であろうがが、歴史上に突出する王者なのである。少なくとも同時代の感覚としてはそう感じられる。もう少し前ならば趙治勲がいた。その前には坂田栄男がいた。その時代の積み重ねが歴史であろう。

 

ヒカルの碁にあるものもそういう歴史だった、過去を現在を繋ぐもの。強さは時代を超えて人の想像を刺激する。彼もそんな一人だ。カエサルが今の社会にいれば、どのような政治をするだろうかと、誰もがそんな無意味な空想を含まらせる。

 

そう思っていた。これまでは。

 

ところが7番勝負3:3。次で決する。陥落か奪取か、防衛か返り討ちか。6冠に後退したとはいえ、三大タイトル保持者である。両者とも、死力と尽くすのは間違いない。

 

ラインハルトの「せめて五個艦隊でも与えてみたい」ではないが、ここ数年の充実ぶりは、逆に言えば、体力が削がれ徐々に疲労が蓄積した数年でもあった。名人戦の三日前に天元戦五番勝負第1局を山下敬吾と戦い、この三日後には王座戦五番勝負第1局を一力遼と争う。

 

明らかに過負荷だ。全盛期の井山裕太に勝利できたものは誰もいない。彼は自らの強さによって全タイトルを手中に収め、その自らの重みを支えきれなくなったとき自然と潰れていった、後世の歴史家はそう書き記す。

 

今の囲碁は大変おもしろい群雄割拠の時代である。若手の台頭、歴代棋士たちの踏ん張り、それぞれの囲碁観、挫折と再生、世界戦の敗北、AIの登場。様々な様相の中で、それぞれの人が個性的である。自らの勝負勘を鍛えに鍛えてきた。

 

囲碁棋士は人生に三度は棋風を変えるという。一度目は勝負の世界に飛び込むと決意した時、二度目は自らの限界を感じた時、そして三度目は勝敗の先が見えてきた時、と。

 

強さを例えるならば、それは聖闘士星矢のようであるし、戦いの中に身を投じる様は、まるで銀英伝のようでもある。一局の戦いは、そのまま戦記小説にだってなるはずだ。戦争映画の原作が棋譜であって何の不思議がある。

 

勝敗よりももっと希求する。両者にとって忘れられない名勝負となることを。