事実上の“空母”導入を検討へ 「防衛大綱」に明記の方向

news.nifty.com

 

当然だと思うが、空軍の航空機と比べれば海軍が所有する航空機は戦力的に劣る。それでも空母が役に立つのは、陸上機と比べて場所の自由度が高いからだ。

 

よって、旭日の艦隊ではないが、神出鬼没さが重要である。ただし、現在は衛星などの発達によりそう簡単に隠密できるはずもない。潜水艦の重要度が高い理由はそこにある。

 

では、空母打撃群が重要なのはどういう場合か?遠くに離れていて劣った敵国の軍隊を相手にする時ではないか。空母を保有している軍隊は、当然だが、空母だけで戦争をする気などない。やるなら戦場となる近辺に空軍も陸軍も送る。

 

だから、海軍の基本は海上補給の確保にある。当然、余力があれば、敵国の攻撃にも参加する。現在の所、アメリカの空母はそのように使われているように思われる。

 

翻って日本が持とうとする空母はどちらかといえば揚陸艦であって、戦争中であれば、陸軍のあきつ丸に近い。こういうのはアメリカなら Semper Fi の海兵隊が担う役割だろう。編成的に海軍と海兵隊がどうなっているかは知らないが、その基本は上陸するためにある。

 

上陸戦といえば、Operation Overload の D-Day や硫黄島の攻防を思いつくが、いずれも攻める側が圧倒的に有利である。そもそも、攻め込まれている時点で不利な状況にある。有利ならその前に撃退している。

 

だから、押し返すなら遠ければ遠い場所ほどよく、この地理的な距離が、戦前の軍部の基本戦略であった。日本海よりも朝鮮半島朝鮮半島よりも中国大陸、ソビエトと対立するには当然の戦略であったとも言える。

 

だが、この無限の恐怖の裏返しとして起きた太平洋戦争で敗北をしてから、距離的な遠さを戦略に使えなくなった。日本の基本戦略は、本土を破られてから如何に押し返すかの一点だけで構築されている。

 

将棋でいうなら、王手されてから始まるというようなものである。かつ、日本は軍備に必要なコストを民間に投資することで戦後の復興を達成したようなところがある。決して軍国主義国家ではない。軍事予算は強く国会で、財務省でチェックされている。

 

戦争の戦略にはふたつある。質によって相手を圧倒するか、量によって相手を圧倒するかである。現代の戦争は単純にそれだけではなくなっていると思うが、戦争の要諦は補給を続けることにあるので、質と量、どちらが最初に尽きるかに掛かっている。どちらも莫大な金が必要なのだ。

 

中国にしろ、ロシアにしろその基本戦術は飽和攻撃と思われる。相手が優れた機体を100機用意しても、それを超える150機があれば性能で劣っていても自由を得られる。例え130機が落とされても20機が残れば一撃を加えられるだろう。それがもし核ならば相当な効果が得られる。

 

サッカーと同じ。守る側は一点も与えられない。攻撃する側は一点で十分である。核にはそういう側面がある。

 

核を抜きにしても、中国の飽和攻撃を凌げるほどの能力を自衛隊は持っていないはずである。試しに自分が中国の司令官ならどうするか、と考えてみればいい。アメリカは中立、周辺国家は沈黙、核は使わないという簡単な条件でも、日本のあらゆる基地、高速道路、鉄道網、橋、港湾を一気に叩く。一度に200機も飛ばす。それを守り抜くことは物理的に不可能だろう。

 

数にものを言わせて陸上施設を最優先に攻撃する。そんな状況下において、あんな平時にしか役に立たない島など、何の価値がある?そんな暇があれば、沖縄と本州を分断したり、北陸、大阪あたりまでを攻撃するだろう。

 

戦闘だけを考えば、自衛隊の装備での防衛はかなり厳しい。ではどうするのかといえば、アメリカとの同盟、外交関係が登場する。どうひっくり返しても、集団的自衛権以外で対抗する術はない。

 

中国のニュースを聞く度に彼らの野心、野望が見え隠れして警告音が鳴りっぱなしになるのだが、もし彼らが自由を得たらば何を要求してくるだろう。肥大化したいという欲望もまた底なしであろうと思われる。これまでの国際常識は通用しないと考えるべきだ。

 

そういう国際情勢を鑑みて、空母?というより揚陸艦に戦闘機を搭載するという話であるが、そもそも陸上基地がやられる状況で空母が一隻残っていて何ができるもんか、と思わないでもない。

 

信濃のように海上の補給基地として働く、その機能を米軍に提供する、という方が説得力がある。すると米軍やそのほかの同盟国と共同作戦をするにはとても都合のいい船になりそうである。

 

韓国相手に島を取り返す名目さえ見つけられない国家が、奪われたから奪い返すという行動に本当に出られるだろうか。どういう紛争の終わり方を想定しているのだろう?

 

だれもまだ中国と軍事的対話を試みたものはいない。それをすれば、どこまでエスカレートするか、誰も知らない。中国はとても体面を大切にする国家であるという。つまりやられっぱなしでは決して引かないという事だ。ASEAN諸国も南シナ海では強く出れないでいる。東シナ海で同様のことをしてきたときに日本は決して引かないか?

 

ならば、どれだけの戦争を想定するか。

 

開戦すれば、早々に中国の空母は沈められるだろう。たぶん、自衛隊ならそれくらいはする。それでも日本の倍以上の航空戦力、艦隊を装備する中国軍に一歩も引かずに戦いぬけるか?だとすれば、どれくらいの期間を想定しているのか?

 

期間が決まれば、必要な弾薬の数が決まる。燃料の量も決まる。兵士の数も決まる。どれだけの稼働率を維持するかで必要な機体数も計算できる。敵に500の戦闘機があるのなら、こちらは1500発のミサイルを準備しておけばよい。

 

結局、政府はなぜ空母を保有したいのか?というのがどうも説得力がない。太平洋の島を取り戻す?とられたのなら、太平洋の補給路は既に敵のものであり、制海権を失っているということだ。制空権はあっても貧弱だろう。そんな状況下で真っ先に沈められるであろう揚陸艦(空母)が残っているとも思えない。

 

いずれにしろ、戦争をするには準備が足りない。戦争をしないのなら覚悟が足りない。所詮、空母というおもちゃを持ちたいだけのロマンチシズムではないか。なにやら幻想みたいなもので政府が動いていると感じる。それこそを警戒する。

 

敵に打ち砕かれて倒れる分には、いくらでも再建できる。だが自ら朽ちて倒れれば何も望みようがない。