陸自誤射は照準数値を誤伝達 隊員19人処分

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本当にこの誤射が起きたのが戦争中でなくてよかった。戦争中に敵陣地ではない所を砲撃したとあっては勝てる戦争も負けてしまう。しかも必要な情報の伝達にまで齟齬があったという。

 

こんな軍隊でまともな戦争ができるのか。平和主義であれ、軍国主義であれ、軍隊は厳しく律せられ、必要な時に効果的なミリタリーパワーを最大限発揮することを前提として活動している。

 

撃つ度にどこを砲撃するかも分からない部隊など、軍隊とは呼べぬ。非武装派の人たちは快哉と喜んでいる事だろう。我が国に軍隊と呼ぶに値するものは存在しなかったと。

 

彼らに欠けていたのは決して「部隊全体の安全意識」ではない。欠けていたのは「部隊全体の戦争意識」である。自衛隊の演習は当然だが、戦闘を前提として行っている。戦闘を行う限り、交戦状態を仮定するのも当然で、ならばたった一発の砲弾が雌雄を決する場合もあるという事を兵士が知らないはずがない。

 

戦争への冷徹なまでの合理性は、当然だがこういう誤射を許さない。戦争中は様々な悪条件が重なる。それでも十分な働きをするためには、平時の訓練では決して起きてはならない誤りがある。

 

もちろん、平時の訓練はそういうものを洗い出し、改善してゆくためにある。まさかと思うことが起きるなら平時の間にしておく。でなければ、もっと不利な条件で十分なパフォーマンスなど期待できないからだ。だから、この誤射にも全く意味がないわけではない。

 

だが、それが「安全意識」の問題だと思うなら同様の事故は再び起きるであろう。その程度の部隊が戦争で役立つとは思えない。

 

とは言え、マスコミへの公式会見でどうしてこの様になったかと聞かれて馬鹿正直に「戦争への意識が不足している」と答える広報などありえまい。だからと言って「意識」という言葉を使うのも落胆する。その程度の意識で改善できると考えているなら、この組織は絶望的だ。

 

意識として欠落しているならば、それには、そうなる理由がある。それがなくても動く。ならば必要ない。人間が最大の効率化に進むのは進化論的にも社会学的にも正しいと思う。効率的に見えないなら、そこにはなんらかの理由がある。

 

指示の聞き間違い、思い込み、誤解で誤射をするのは十分に考えられる。だが、それならば、この人はただの指示待ちで動いたということになる。そういう人材を軍隊は望んでいるのだろうか?これまではそういう人材を求めていた。それが定説であろうが、アメリカ軍は、情報を迅速に末端の兵士にまで細かく伝える点に技術革新を注力しており、F35のアドバンテージは、ステルス性でも強力なエンジンでもなく、その個体性能ではなく、複数の機体が情報を交換し、瞬時に同調できる点にある。

 

そこにあるのは個の力ではなく、集団の力である。ここに軍事的戦略はシフトしており、コンピュータがネットワークと結びついた時から、これが決定された未来だ。電信電話が戦争を変えた以上のパラダイムシフトが起きつつある。

 

それは軍隊だけではなく、企業の社会も個人も、コンピュータと通じて世界とつながるという流れ、この急流に逆らうことは誰にもできない。

 

この流れに日本は政府も企業も取り残されている気がする。情報交換を積極的にやるという事は、逆に言えば、機密も流れやすくなるという危険性もあり、機密でないものが流通し、重要な情報は保護する、ジャンクやフェイク、ノイズな情報の中からどうやって情報を検索するか。

 

ヒューマンエラーは必ず起きる。だがヒューマンエラーがそのまま問題となるシステムは決してヒューマンエラーではない。