機動戦士ガンダム「閃光のハサウェイ」富野由悠季が映画化に期待<コメント全文>

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監督のコメントを文面通りにとる必要はないし、どう考えても裏読みしなくちゃいけないという気がする。だからと言って、本人がこれで良しとした文章を別の読み方をした所で、新しい皮肉以外にはなりそうもない。

 

それでも、別の言い方をしてみたくなるのは、元の文章が良すぎるからだ。その責任の所在は僕にはない、監督の方にある。読んだ人の数だけ、別の焼き直しが発生するだろう。その可能性の広がりがこの人の凄さだと思っている。

 

富野由悠季のコメント>

映画化に期待する

「原作料を頂けてうれしいです。」

30年ちかく前に書いたノベルスの映画化は、原作者として嬉しい。まさかという驚きがあった、しかも三部作。製作関係各位から、本作のテーマは現代にこそ必要だと判断をされてのことだと聞けば、あらためて内容をチェックした。そして、また呆然とした。 

 「こんな古い小説を取り上げることにびっくりしたし、今更という気も強くした。しかも三部作だそうである。今まで君たちは何をしてきたの?30年もあって、これを超えるものが誕生しないと愕然とした。」

現実の世界は進歩などはしないで、後退しているかも知れないのだ。だから、ガンダムのファンの皆々様方が牽引してくださった道筋があったおかげで、今日、本作のテーマが現実にたいして突きつける意味があると知ったのである。

「まさか、現実の方が後退するなんて思いもしなかった。常に世界は進歩するなど幻想である、という現実を僕に突き付けた。ガンダムのファンの人が、こんな古いものを持ち出さなければならないほど、飢えている、という事は、新しく考えなくちゃいけないテーマだと気付いた。」

その意味では、本シリーズを牽引してくださった皆様方に感謝をするだけである。

「そういう事を知ることができたのだから、この劇場版が存在する意味はある、と言っても悪くない。」

同時に、諸君等ひとりびとりも本作のメッセージの希望である解決策を次の世代は開拓してもらいたいと願ってのことでもあろうとも想像する。

「つまり、みなさん一人ひとりはただ受動するだけの鳥のヒナみたいな存在だったのである。それをずうっと続けてきた。そして今も餌を求めるだけの小鳥のようである。これはもう次の世代に期待する以外の何もないという意味である。」

すなわち、大人になったガンダムファン世代は、ファンの力だけではリアリズムの閉塞感と後退感を突破する力はなかったと自覚もしたからこそ、その申し送りを本作に託していらっしゃるのではないかとも想像するのだ。

ガンダムで育った世代は何も変えられなかった、という事を、この劇場版は表現しているように思う。いまさら?と思ったのはそういう意味である。願わくば、みなさんも突破しようとして、僕と同じように挫折したのだと信じたい。でなければ僕は救われないよ。」

アニメがリアルである必要はないのだが、映画という公共の場に発表されるものであるのなら、少なくとも幅広く若い公共に響くものであっても良いのではないかと信じるのである。

「映画はただの趣味では終わらない。公共というものと無縁であるはずがない。アニメの力もまた公共に対しての力だ。そうガンダムで教えられた。」

製作する世代が若くなり、それを享受する観客がさらに若くなれば、それら次の若い世代が、いつか人の革新 --ニュータイプ--への道は拓いてくれるのではないかと信じるのである。

「そう信じて作品を作ってきたのである。この劇場版に期待することなど何もないが、少なくとも、アニメにはまだ若い人たちに訴える力がある、それを次の世代に期待したいと願っている。Gのレコンギスタとはそういう作品だ。」