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仏大統領「ブレグジットはEUへの警鐘」、演説で指摘へ=関係筋

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英国以外に離脱国が出るのを防ぎ、現状維持に陥らないために、欧州は目を覚ます必要がある 

 

ヨーロッパ(EU)が新しいステージを目前としている今、ヨーロッパの前に立ちはだかる壁について、マクロンは明確に意識している一人だと思う。だが、彼の政策が理解を持って受け入れられているとは言い難い。

 

Yellow Vest 運動が暴発するまで、そう遠くないし、その理由は誰にも分らない。運動に参加している人でさえ、自分が何を主張しているかは理解できていないはずだ。

 

なぜなら、彼らには不満はあるが解決策がない。解決策へと至る道筋さえ提示できていない。その解決は政府に丸投げであり、出来なければ、出来るまで政権を倒せばいいと考えている節がある。

 

ヨーロッパは、ヨーロッパ自身の理念によって、その重みに潰されかけている。彼らが域内で共有しようとした正義は、たった数百万の難民によってさえ崩壊の危機を招いた。

 

ある理念を持つことは、別の言い方をすればそれに束縛されることであり、それに従うことが自由を奪うことになる。自らオプションの数を減らす事が自らの足枷になっているのではないか、彼らが理念の上に組み立てた論理は、それを如実に表しているように見える。

 

本来、理念は、方向性を示すものである。決して自由を束縛するようなものではない。どちらかといえば、何かを選択しなければならないときの助けとなるものだ。

 

そこで論理性を重んじれば、ひとつ選択した結果は、その次の段階を束縛する。論理の統一性によって、前段階を裏切ったり矛盾することは通常、許されない。もし、そうしたければ、元の場所まで戻ってやり直す必要がある。囲碁もこういう考え方を採用している。

 

だが、それはどれだけ正しい道に見えても必ずどこかで矛盾と対峙する。その時、それを乗り越えるには、何らかのパラダイムシフトが必要で、人間の歴史には、そういうものがたくさん見出されるはずだ。

 

日本の歴史でも、近代では赤穂浪士の討ち入りがそのひとつであるし、西南戦争もその類と思われる。アメリカの独立、フランス革命を支えた17世紀の思想が、ヨーロッパのパラダイムシフトを支え、これと産業革命が同時に起きたのがただの偶然であるか、何かの必然かは知らない。

 

現在の行き詰まりが、インターネットの登場によるものであることは間違いないように思われる。現在のグローバル化を支えたものが、航空網の発展とインターネットにあるのは間違いないと思う。

 

その結果、何が起きたかといえば、国家というものを最上位に位置付ける統治体制の綻びである。これは国家といえども、経済から逃れられないし、そうである以上、経済を支える企業よりも国家(軍)が下位に来るかもしれない、という話だろう。

 

これを日本は江戸時代の後期に経験している。商業の発展が幕府を衰退させた、長い目でみればそういう話である。西洋との邂逅は時代が動くための切っ掛けに過ぎなかったとさえ言える。

 

このような転換期に、理念を持つ体制に留まり、自分たちの自由を放棄するのは得策ではない、そう判断したのが、英国の Brexit であろう。この劇薬を薄めることもなく、英国はそのまま飲み込むつもりのようである。英国が自由を行使できる前に没落してしまう可能性は十分にあると思う。

 

国際社会、少なくとも従来の{先進国}という括りも長くはない。中国の躍進、ロシアの存在感のふたつがあれば証左として十分であろう。中東の戦乱とも無関係とは思わない。そういう中で、アフリカには新しい萌芽があるように感じる。

 

世界は経済シフトしつつある。これまでノーベル経済学賞は、物理学賞、化学賞などと比べてもBクラスという感じがある。文学賞と比べてさえ、格落ちの感がある。

 

それは20世紀が科学の時代だったからであるが、21世紀は経済学の時代となろう。経済学賞の価値はこれからどんどん増すはずだ。国家と企業、富の流れを分析し、どのように市場と関係する地域が発展するのか。そういう分析や理論が必要となるだろう。

 

一万年前、人類は農耕を開始し、人の数が力となった。豊かな農作が人を増やした。人の数が趨勢を決定する、これは今でも選挙の基本的な考えになっている。

 

人の力が同じなら、軍がその趨勢を決定するようになる。軍はどうこういって人の集団の総合力だから、最初から武器の発達(科学、工学)、人の統制(社会学)、情報のやりとり(手紙、文学、情報学)、それを支える補給(経済学)、そして権力の正当性(権威、宗教)という学問は最初から必要であったし、より洗練したものが勝者となった。

 

どの時代に、どの部分を重視したか、どの戦争で、どの部分がキーとなって勝利したかは変わろうと、戦時であれ平和時であれ、社会はそうやって進んできた。

 

いま、世界は変わろうとしている。世界は常に変わっているとはいえ、今は大きく変わろうとしている。国家でさえ主役ではなくなる。企業が富を集める、国家が軍と市場を保有する、このふたつの関係性の中で、強力な市場をもつ国家が覇権国でいられたのは、税金が市場と地理的に切り離せなかったからだ。

 

強い市場を持つことが、税収を増やす理由にならないとしたら、国家は衰退するのは当然である。するとこの先にあるのはふたつの選択肢しかない。税収を市場と一体化させるか、他地域にある市場から富だけを吸い上げる企業を保有するかである。

 

そうでない道を見出すのが、おそらくこの先を覇権する道である。その流れの中で、この国が没落しても別に驚くことではない。古いやり方のまま新しい時代に突入しようとしているようにしか見えないからだ。少なくとも、それではダメだ。