記事要約
1985年、杉原を称えてエルサレム近郊のベイトシェメシュに約400本の植樹を行い、記念碑を設置した。これらが開発のため2010年迄には伐採され、記念碑も撤去されたらしい。
どうしてユダヤの人たちがあれだけヨーロッパで差別されてきたのか、よく知らない。ベニスの商人で、血を一滴も流してはならないとポーシャに迫られた哀れなシャイロック。
現代劇にするならシャイロック側からの鬱屈、侮蔑を中心に描くのだろう。シェークスピアにもユダヤ人への差別的な記述があるらしい。現代の執拗な反差別という視点で見れば、過去は全て許容しがたく見えるのだろう。シャイロックがたまたまゲスな野郎ではなかったという話である。ゲスな人間としてではなくゲスなユダヤ人として描かれたのだ。
人の命は昔から重かった。それはネアンデルタール人の埋葬を見ても明らかだろう。像が死んだ仲間の側から離れようとしない。子供を失ったライオンがインパラの子供を守ろうとする、そういう観察からも首肯できる話である。
同様に人の命は昔から軽かった。奴隷船から生きたまま海に投げ捨てられた人のなんと多いことか、村を破壊しすべての村人を一日で虐殺したナチス、嘘と欺きで侵攻し自分たちの領土にした歴史は東西に幾らでもある。人が人を殺した例など数えるだけバカバカしい。
ユダヤは国を持たなかった。だからロマと同じように迫害され差別されたのか?古代イスラエルは、ローマによって滅ぼされた。キリストになり損ねたバル・コクバは、戦死した後、ユダヤの人たちからも「ほら吹き」呼ばわりされたそうである。
こういう手のひらを反す行為は当然嫌われる理由にある。イソップもコウモリを寓話にした。しかし、嫌われることとユダヤ人差別、反ユダヤ、ましてジェノサイドの理由になると考えるのは短絡である。ましてユダがキリストを売ったのが理由ならそれは悲劇ではなく喜劇だ。
ローマはかの地をパレスチナと名付けた。ペリシテ人の土地という意味である。その歴史は大英帝国が軽率にした口約束によって、今も中東で人が死ぬ理由になっている。
戦争末期に合法的、一方的な破棄ではあるが破棄した上で宣戦布告し、日本に侵攻したロシア、ナチスドイツ敗北後のベルリンを男女構わず蹂躙しまくったロシア、多くの軍人、科学者が投降先、亡命先にアメリカを選んだ、そんなロシア、そのロシアも個人的に付き合えばなんとも楽しく気持ちの良い人たちだったという。秋山好古がそんな話をしたのでたぶん今も間違いない。
当然だが、ロシアと同じくらいにアメリカ兵だって十分に極悪であったし、日本兵など、初代アジアのならず者である。そういう人たちが、どの国にも沢山いたし、そのような行為を苦に自殺した人もいる。死ぬ直前まで自慢していた人だって腐るほどいた。
だからユダヤの個々人と、ユダヤという集団は一括りにして見るべきではない。だからと言って「植林を管理していたイスラエルの団体」も知らぬ間に消えていたというなら、それを管理していたと書くのに何の疑問も感じないのか、この朝日新聞の記者は鳩山並みの無能かという気もしないではない。
いずれにしろ、中東は混乱している。石油エネルギーが主役の座から降りようとしているのと連動していると個人的には思うが、資本が潤沢にある間に何とかしようという思惑が吹き出しているのだろうか。なぜ彼らが戦うのか、その理由も良く分からない。
ユダヤ教の骨格が、迫害に対して育まれたものであることは、旧約聖書を読めば分かる。モーセの十戒は出エジプトがなければ誕生しなかったであろう。
すると、初期のヤハウェ信仰は、その後にの変わっていったと考えるのが自然であるし、その変わるための理由が迫害によってであろう。神が与えた試練とどう向き合うか、人間の信仰の強さが結実したと思うのである。
旧約聖書にあるダビデ王とウザの話であれ、ヨブ記であれ、蛮族ならこんな自分勝手なやつをよく神と崇められるもんだ、俺なら寝首を掻くために戦いを挑むね、と笑いそうなものだ。
これが彼らが経験してきた苦難の重さなのだろう。多くの苦しみ、迫害、最終的にナチスへと至る。もしナチスがあのような蛮行に手を染めなかったら、後世の歴史はずいぶんと違ったものになったであろう。アンネフランクがノーベル文学賞を受賞する世界だってありえた。
だが、このようなことを近代国家は可能とする、どのような王も王国も成しえなかった事が官僚組織なら可能になるのである、この事実から目を背けてはならない。同様に昨日まで迫害された人が今日から迫害する側に回ることも起きるのだ。何故?ではない。それも官僚組織なら可能となるのだ。
国を思う心がそのような行動を取らせるのだと当人たちは信じているだろう。彼らの神と同じくらいに真剣にそう思っているだろう。命令ならばジャーナリストを殺害し、証拠を消し去ることも可能なのだ。官僚組織ならば。
なぜなら官僚組織は受けた命令を実現する。それ以外の何も要求されない。それを拒否したければ職を辞すればいい。良心を捨てる必要もない。国会で嘘をつく官僚だって、嘘をつく気は全くない。彼らは自分が受けた命令に従っている、そういう意識しか持っていないはずである。
だからナチスに迫害されたものが、正統なナチスの後継者になることに何の不思議もない。官僚組織は神の声などを必要としない。命令書があれば耳をふさいでいても仕事ができるように作られている。それが官僚組織という体制だ。
イスラエルの人たちが杉原千畝を忘却したとしても、何ら不思議はない。どうりで嫌われてきたはずだ、そういう民族だよ、という偏見を日本人が持つだけの話だ。
一方で、ならば日本人は受けた恩をすべて忘却せずにいるのかと言えば、決してそんな馬鹿なことはない。我々だって忘却して裏切り続けているはずである。個人でも国家でも。
そもそも日本人でさえ杉原千畝を高く評価してこなかった。シンドラーのリストという映画がなければ今でも忘却しているはずだ。偉いのはスピルバーグ(や原作者のトーマス・キニーリー)であって、我々では当然ない。ちなみにユダヤ人を救おうとした著名な人はたくさんいるし、見ても見知らぬふりをした人も含めれば何万、何十万にものぼるはずだ。僕たちは何に怒っているのだろう。
ユダヤの人たちが、いつまでも感謝をし続けなければならない道理などない。70年という年月が、忘却するのにちょうど良いひとつの丘なのだろう。全てはいつかは忘却されてゆく、出エジプトを経験した人たちの記憶だって、今ではその殆どが残っていない。
イスラム教では、モーセもイエスもムハンマドも人間として扱うそうだ。その点がユダヤ教ともキリスト教とも異なる点だと思うが、そのお陰かどうかは知らないが後継者問題で大揺れに揺れた。神が語っていないので人間同士で争えるのである。
それがサウジアラビアとイランの代理戦争としての中東情勢である。そこにイスラエルも巻き込まれる。よってアメリカも絡んでくる。その反対側に必ずロシアが付く。結局、中東はトルコを中心に台風のように荒れ狂いそうである。
ヨーロッパの多くの人が反ユダヤを掲げる。右翼は過去にしか遡れないから、必ずナチスに行き着く。右傾化とナチ化は同義になるから、反ユダヤ(ユダヤは出て行け運動)、反シオニズム(イスラエル建国の地から追い出せ運動)が再燃する。
なぜこんな流れが今も残っているのか。反ユダヤによって何を主張しているのかは知らない。だがそのような主張もその根っこにあるのは経済問題であるから、貧困から抜け出すための蜘蛛の糸が反ユダヤなのだろう。それは、簡単に陰謀論を生み出し、国中に蔓延する。その流れに抗おうとマクロンもメルケルも奮闘しているが、先行きは危うい。民主主義だからすべては国民が選んだ結果だ。
反ユダヤがない地域では、その代わりとしての問題が噴出するはずである。人々は現状から抜け出したいとき、とても安易な原因に飛びつくものである。それが我々の基礎学力なのだから如何ともしがたい。
一つの判断基準は官僚がどちら側に転ぶかをよく注視しておくことだ。結局、官僚組織を持つものは誰もが迫害する。それ以外に答えようがない。