星飛雄馬の古谷徹、姉明子の白石冬美さんを追悼

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声優が亡くなった時に、この役もやっていたのかと驚いたり、そうそう、そうだったと懐かしく振り返る。

 

白石冬美と聞くとミライかカーシャが思い返されるのだが、最も印象に深いのはパタリロになる。アニメを見た人にはあの絵とあの声は完全一致しているはずだ。

 

これからリメイクされたり舞台で知ってゆく人は別の感慨も持つだろうが、最初の出会いというものは人がずっと抱えてゆくものだから。だからトッポの声も強く印象に残っている。

 

パタリロという作品には、漫画であるが、とても救われた。行き詰まりの中にあって、壁を破る方法を教えてくれたのがこの作品だった。あの頃、確かに目の前には見えない壁があった。まるで重さも強さもない鎖が自分を拘束していた。

 

彷徨いながらもどうしようもない。回避する方法も、乗り越える手段も分からなかった時に、パタリロを読んだ。世界はこうも違ったものであるのか、人とはこうも逞しさを持つものか。この作品が、世界とはそういうものじゃない、と語った。少なくとも僕にはそう読めた。

 

人がいなくなれば次第に忘れられてゆく。これは仕方がない。著名な作家の作品でさえ、次第に読まれなくなり、名前だけは知っている、タイトルだけは知っている、そうなってゆく。お墓に書かれた名を読んでさえいない。

 

それで構わないのだ、そういうものだとしても、人は残ってゆく。そうでなければ世界はとても狭いから。この世界の広さは今の人々だけのものではない。過去も未来も、この空間にある。

 

これからこの人の作品に触れ、それに強く印象を受ける人も現れるだろう。この人はこれからも作品として残ってゆく。そう強く信じる。世界にとって、作品がとても触れやすく変わっていったことがとても嬉しい。

 

いつでも会いに行けるから、そう語ったのはこういう日のためだったのではなかろうか。また会えたね、そんなタイトルを思う。