皇位継承「男系の歴史重い」 保守派の旧宮家復帰案

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父親を辿ってゆけば神武天皇に辿り着く。これが系統であり、これを満たす限り、誰が天皇になってもよい。女性天皇もたくさんいる。だが、これは極めて生物的制約の高い方法で、それを実現するためには側室が必要であった。この制度を拒否した時点で、主流だけで継続してゆくことは危険である。

 

最も忌避すべきが途絶であるから、これを回避する方法は幾つかしかない。まずは、離脱した俗流を再合流させる方法が考えられる。これは条件は満たすが、帝王学を学んでいないので、非常に卑俗な人間である可能性が高い。戦前でさえ宮家出身の中にも卑劣な俗人は存在していた。

 

だから再合流するにしろ、合流以降に誕生した人、宮家としての自覚を持つ人が継承権を持つのが望ましい。皇族には、日本の伝統の体現だけでなく、国家の象徴として、外交、内政の両面で人々の気持ちに寄り添う自覚と教育が必要と考えるからである。

 

だが、それもまた今の方法を取る限りは数百年の延命策に過ぎない。側室がいない以上、いずれ枯れるのである。当面は、旧家の復帰、そして、悠仁親王に稀代のプレイボーイになって頂くしかない。彼が百人の子供を持てば、全員が女子でない限りは、宮家はしばらく安泰であろう。

 

まるで、産めや、育てや、古事記の時代に戻るようだが、それ以外に方法はない。また合理的に考えるなら人工授精がベストである。そこには倫理的、道徳的、人権的な課題もあるが、まず人権に関しては、住居の自由、職業の自由さえ持たない。そのような状況を基本的人権を持たないと考えるか、持っていながら自らの意思で行使していない状況にあるとするかは難しい。なぜなら行使する自由もかなり制限されていると考えられるからである。

 

職業選択の自由は、だが、好きな職業に就ける自由ではない。梨園に生まれれば大概は家を継ぐものである。家を継ぐのは最終的には本人の意思であるが、実際は、多くの圧力の結果である。そう変わるものではない。

 

基本的人権は17世紀に生まれた思想であり、それ以前から存在するものは一見反目しそうなものもある。そこでどのように折り合いを付けるかは結構、寝た子を起こさない面もある。実際、その程度のものが深刻な問題に昇華することは滅多にない。皇族はそれ以前から存在していた。住居の自由、職業の自由は平安時代の皇族だって持っていなかった。婚姻の自由さえ怪しい。

 

倫理的には、生まれた子供は人工的に作られた子供であり、両親に望まれて誕生した子でもない。社会情勢からの要諦によるものであるから、自分のアイデンティティに疑問を抱くのは当然であって、天皇機関説を個人に背負わすのは酷のはずである。立場が機関であるというのと、存在が機関である、というのは全く意味が異なる。

 

それを子供たちが意識すれば成長に悪影響しか与えずダークサイド必至である。よき天皇に成長して頂けるとは思えない。そのように人間を扱うのは忌避すべきなである。子供にはやはり両親が必要であり、社会で育てるというのは両親の延長にあるもので、両親から切り離されて社会が育てるなどというのは不可能である、という結論になる。技術的に代理母など方法はあるにしても、採用できないという結論である。皇族の遺伝情報は残すとしても、それを使って過去を調査したり、系統についてあれこれ言うのは、後知恵であるしゴシップに過ぎない。そういうものが好きな人は現在に生まれたから賢いつもりになっているだけで、知能としてみれば、下の下である。

 

道徳には、どうであろう。人権は道徳ではない。倫理と道徳の違いは政治に対するアプローチと思われる。倫理は社会を出発点として個人へと至る道、道徳は個人を出発点として社会へ至る道、と考える。

 

それが社会にとって不利益であるから認められないとするのが倫理、それは個人として受け入れられないとするのが道徳。個人は社会によって説得されるし、社会は個人の気持ちで動く。違うのは出発点だけだが、結論も同じとは限らない。

 

道徳は個々人の好き嫌いに影響する。そこから始まるからだ。だから、一般論になればなるほど、道徳は大勢の間で一致する。天皇制に対して廃止論者がどういう気持ちからそう考えているか、基本的人権や共産圏革命など、出発点は異なるだろう。そして個人的であればあるほど、結論が変わってくるのは当然だ。

 

どういう社会を望ましいと考えるかによって、倫理も変わってくる。そういうものが伝統に対して対峙するとき、我々は手放すしかないのか、護ってゆくべきか。絶滅危惧種に対する危機感と同様に文化的な絶滅も存在する。世界では消えてゆく言語が沢山あると聞く。そこに込められた人々の営みが同時に忘れ去られてゆくのが望ましいとは思わない。

 

我々には取引する用意がある。